【判 決 要 旨】

平成15年12月24日宣告
平成10年刑(わ)第3464号 強制執行妨害被告事件
東京地方裁判所刑事第16部《川口政明,早川幸男,内田曉》
被告人 安田好弘

主     文

本件各公訴事実につき,被告人は無罪。

理     由

1 本件公訴事実の要旨は,弁護士である被告人が,平成5年2月又は11月の2回にわたり,その顧問先であるスンーズ社の社長らと共謀の上,同社所有の賃貸ビル2棟「麻布ガーデンハウス」及び「白金台サンプラザ」につき,テナントに対する賃貸人の地位を同社からダミー会社であるエービーシー社又はワイド社に移転した形を取り,テナントらに対し,以後,賃料等を上記各ダミー会社の銀行口座に振込入金することを指示し,よって,情を知らないテナントらをして,平成8年9月ころまでの間,合計約2億円を振込入金させ,もって,強制執行を免れる目的で財産を隠匿した,というものである。
2 平成元年の最高裁判決が抵当権に基づく物上代位による賃料債権の差押えを肯定して以降,賃料債権の差押えを免れるため,ダミー会社もしくは関連会社への賃貸人名義の変更や賃料振込先の変更といった対抗手段が横行するようになり,民事執行の実務上,このようなダミー会社等への賃貸人の地位の移転は,賃料債権の差押えに対する妨害事例の典型とされてきた。
 そして,検察官は,本件もその一例であるという。すなわち,検察官は,「麻布ガーデンハウス」についての賃貸人の地位の移転は,貸金の返済を求める催告書がスンーズ社に配達されて間もなくのタイミングでなされていること,また,「白金台サンプラザ」についての賃貸人の地位の移転も,債権者が抵当権に基づく物上代位により別の賃貸ビルのテナントに対する賃料債権につき債権差押命令を得た直後のタイミングでなされていること,「麻布ガーデンハウス」及び「白金台サンプラザ」の各物件につき,上記のようにして賃貸人の地位が移転されたにもかかわらず,テナントが支払った賃料はいずれも還流してスンーズ社に入っていることなどの諸事情に照らすと,上記の各賃貸人の地位の移転は,賃料債権の差押えを免れる目的でなされた仮装隠匿行為であり,強制執行免脱行為であるというべきであると主張する。その上で,検察官は,スンーズ社の社長及び従業員が上記の賃貸人の地位の移転の少し前又は直前のタイミングで被告人の事務所を訪れていること,上記の賃貸人の地位の移転に使用された「賃貸人変更のお知らせ」は,スンーズ社の従業員Sが被告人から貰った雛形に基づいて作成したものであることなどの諸事情からすれば,被告人が上記の各強制執行免脱行為につき,共犯者として関与していることは明らかである,と主張する。
 これに対し,弁護人は,被告人は,スンーズ社からの依頼により,バブル崩壊後の同社の生き残り策を検討したところ,スンーズ社は早晩破綻することが必死であり,このうえは,サブリース会社を設立してスンーズ社の従業員を移籍させ,この新会社において,スンーズ社からその所有に係る賃貸ビルについて一括賃貸を受ける一方でこれをエンドテナントに転貸し,その営業利益(賃料収入)によって,従業員の雇用の確保をしていくという「分社サブリース構想」を案出するに至り,平成4年11月から同年末にかけて,チャート図を書くなどして説明をしたり,現地視察を含む調査をするなどした上で,賃貸物件としての競争力や債権者との関係の安定性などの観点から,サブリースの対象物件として「白金台サンプラザ」等の物件を選定し,スンーズ社の関係者の基本的了承を得たのであり,被告人は,あくまで「実体のあるサブリース構想」に基づいて賃貸人の地位の移転を指導していたものであって,サブリースを仮装したとされる本件各公訴事実とは無関係であると主張し,さらに,(1)「麻布ガーデンハウス」の賃貸人の地位をエービーシー社に移転した行為の真相は,スン社長が,「麻布ガーデンハウス」を海外で売却することを考え,その準備のため,物件管理担当の従業員Sに指示して実行させたものである,したがって,サブリースを仮装したものではなく,強制執行免脱目的でなされたものでもない,なお,被告人としては,被告人の提案した「分社サブリース構想」は,別途,準備・実行されるものと認識していた,(2)「白金台サンプラザ」の賃貸人の地位をワイド社に移転した行為の真相は,従業員Sが,単独で,あるいは,経理担当の従業員Oと共謀の上,スンーズ社の資金を退職金名目で横領する準備行為として実行したものであって,サブリースを仮装したものであり,強制執行免脱目的によるものである。しかし,行為及び目的はSら限りのものであり,被告人やS社長らは全く関係がない,と個別に反論し,被告人のみならず,S社長及びNも全面的に無実であると主張する。そして,以上の主張に関連して,被告人が「賃貸人変更のお知らせ」の雛形をスンーズ社の従業員Sに渡したのは,検察官が主張する平成5年2月ではなく,被告人がチャート図を書くなどして「分社サブリース構想」を説明した平成4年11月であると主張する。
3 当裁判所の判断の概要は以下のとおりである。
(1)被告人主張の「分社サブリース構想」については,平成4年4月の管理会社案にまで遡ることのできるものであり,あくまでも実体のあるサブリースを目指したものであると認められ,その対象物件についても,被告人は十分な調査検討のもとに選定していることが認められる。また,チャート図についても,記載内容や同図についての被告人の説明内容の合理性などに照らすと,検察官主張のような「強制執行妨害策の指南図」とみることはできず,弁護人が主張するように,「実体のある分社サブリース構想の説明図」とみるのが相当である。
 そして,このような被告人の主張に係る「実体のある分社サブリース構想」の本件当時における実在性にかんがみると,本件各公訴事実はサブリースを仮装したとされる点において被告人の構想と全く異質なものであり,このことは被告人の本件各公訴事実への不関与をうかがわせるものといえる。
(2)「麻布ガーデンハウス」についての賃貸人の地位の移転に関しては,証拠によれば,検察官主張の平成5年2月19日の「2月謀議」の3日前の社内会議において,「麻布ガーデンハウス」ほか1物件を東南アジアの投資家に売りに行くことが決定されたこと,その後間もなくの時点で数あるスンーズ社所有物件の中からこれら2物件について賃貸人の地位の移転がなされていること,実際にS社長が上記2物件について売却交渉のために海外に渡航していること,サブリースの主体とされたエービーシー社は,検察官が主張するような実体のない会社ではなく,アジア貿易を企画立案するなど,実体があったこと,海外への売却に際して別会社を設立してサブリースを組んでおけば,海外の投資家としては,自ら管理する必要がない上,賃料保証により投資に対する一定の利回りも保証されることになり,極めて便宜であることなどの各事実が認められ,以上の各事実を総合すると,「麻布ガーデンハウス」についてのサブリースは,海外に売却するための準備のために組まれることになったものである可能性が高いというべきである。従業員Sの証言をはじめとした「2月謀議」の実在性をいう各供述証拠には,いずれも供述内容の不自然さや重要な点についての供述の変遷があり,にわかに信用することはできない。このようにして,「2月謀議」の実在性については,これを支える各供述証拠の信用性の観点だけからしても多分に疑問がある。
(3)次に,「白金台サンプラザ」についての検察官主張の平成5年11月4日の「11月謀議」は,前記「2月謀議」の存在を前提として,その延長線上に存在するものであるところ,前提たる「2月謀議」の実在性に既に多分の疑問があることは前記のとおりである。
 ところで,「白金台サンプラザ」についての賃貸人の地位の移転に関しては,サブリースの主体とされるワイド社に会社としての実体がないことに徴すると,サブリースそのものにも実体がないことは明らかである。
 それでは,従業員Sがどのような理由から,「白金台サンプラザ」のサブリースを仮装したのか。従業員Sは,従業員Oほか2名とともに,退職金として多額の現金を横領している。このことからすると,「白金台サンプラザ」についての賃貸人の地位の移転は,従業員Sが横領の準備行為として,単独又は従業員Oらと共謀の上,行ったものと見る余地が多分にあるというべきである。
4 なお,スンーズ社は,本件当時,明らかな債務超過に陥っていたものであり,このような状況の中では,従業員の雇用の確保を実現しようとするときは,債務者側にとってみれば最低限の要求であっても,債権者との間であつれきが生ずるのは不可避である。債務者の従業員の生き残り策は,債権者にとっては,多分に強制執行妨害の実質を有する。債権者にしてみれば,従業員の給与に回す金があるのであれば,債務の弁済に充てるべきだということになる。この意味で,検察官が,分社サブリース構想について,「スンーズ社の主要事業である不動産賃貸業そのものを従業員ごと債務を負わない別会社に移譲し,それまでスンーズ社があげていた収益の一部を別会社で確保する一方,スンーズ社自体は債務のみを残して消滅させてしまうもの」であると指摘しているのは,一面の真理をついている。構想の段階で債権者にすべてを打ち明ければ,一蹴されてしまうのがおちであろう。任意整理の手法として許される範囲内で先行的に構想を実施し,実績を上げた上で,債権者にもそれなりのメリットがあること,少なくとも損ではないこと,最小限,我慢できないほどの損ではないことなどをねばり強く説明して説得する必要がある。検察官は,被告人が,スンーズ社の関係者に対し,同社の収入を求償債務の返済という形でその関連会社である香港の現地法人に移すことなどを内容とする10通の契約書の締結を指導したり,抵当物件を売却処分したときは債権者から売却代金の一部を分けて貰えとの趣旨に受け取れる発言をするなどして,スンーズ社又はスンーズ社グループの財産確保のための方策を積極的に指示・指導していることをもって,本件各公訴事実についての被告人の関与を推認させる間接事実であると主張する。しかし,このような主張は,債務超過に陥っている会社の任意整理を受任した弁護士に対するものとしてはいささか酷に過ぎる。検察官指摘の各局面において発揮されている被告人のタフ・ネゴーシエーターぶりは,被告人の主張に係る分社サブリース構想について,被告人にはこれを実現する強い意志と十分な能力があったことの証左として,無罪方向のものとして評価すべき側面も多分にあることを忘れてはならないと思われる。
5 ところで,本件の捜査,公訴の提起・追行については,以上に述べたほかにいくつかの問題が指摘できる。
 その一つは,関係者の取調べに際して捜査官による不当な誘導があったことがうかがわれるということである。
(1)従業員Sの平成10年11月22日付け検察官調書は147頁にもわたる大部の調書であるところ,その記載のうちのかなりの部分が,平成10年11月3日付け検察官調書と一致し,そのことから22日付け調書は3日付け調書に修正加工されていることが明らかであるところ,その内容を比較すると,両者間に大きな食い違いがある。
 すなわち,3日付け検察官調書は,平成5年1月ころに,被告人の主張に係る「分社サブリース構想」についての話が被告人からあったことを認めた上で,社員をどうやって移すのかとか,設立した会社で一体何をするのかといったことには何も触れられることはなかったことから,被告人は本気で考えているのではなく,サブリースの外形を整えろという趣旨で言っているのだと気付いたという趣旨の記載となっている。これに対し,22日付けの検察官調書では,被告人が,平成5年1月ころから,はっきりと強制執行妨害の指示をするようになったと述べられている上に,分社サブリース構想は,平成6年後半ころの話として録取されている。以上によれば,被告人による本件犯行の指示に直接関係する事柄に関する極めて大きな供述の変遷があったことは誰の目にも明らかである。しかるに,その変遷の理由については調書上何ら触れられていない。
 そして,その他の変更部分の内容等にもかんがみると,上記の供述の変遷については取調検察官の意向が色濃く反映され,検察官の強い主導でこれらの調書が作成されたことがうかがわれる。しかるに,公判検察官は,後者の検察官調書のみを証拠請求し,前者の検察官調書の存在については弁護人からの証拠開示の請求があって初めてその存在及び内容が明らかとなった。
(2)また,S社長の検察官調書に関しては,海外物件の売却交渉についての成功報酬の一部であることが極めて明らかな現金2000万円が「2月謀議」の5日後である平成5年2月24日にスンーズ社から被告人に対して支払われているところ,検察官調書には,被告人から細かく犯行の指示をしてもらったことに対するお礼の趣旨を含めて,いわばトータルのものとして支払った旨が記載されている。
 当該報酬は,名実ともに海外物件の売却交渉の成功報酬として支払われたことが明らかであるのに,被告人の犯行指示に対する報酬の趣旨が一部含まれているかのような供述を録取しているのである。
(3)以上のような検察官の供述調書の作成経緯やその内容からは,捜査官の強引な誘導があったことが強くうかがわれるのである。
6 さらに,本件の捜査及び公判における検察官の立証活動については,以下に述べるとおり,より根本的で重大な問題があり,この点が関係者の供述の信用性についての当裁判所の評価に大きな影響を与えた。
 すなわち,証拠中の預金保険機構特別業務部作成に係る平成9年12月25日付け「調査報告書」によれば,同機構は,平成9年2月,「スンーズ社の社長が国内資産を処分し,シンガポールヘ逃亡する」旨の情報が寄せられたのを契機として,スンーズ社に対する調査を開始したところ,同社の関連会社であるエービーシー社及びワイド社の各銀行口座に多額の家賃の振込入金が確認されたこと,平成5年10月下旬,債権者がスンーズ社に対し賃料債権の差押えを行おうとしたが,賃貸人が第三者に変更されており,差押えができなかったこと,エービーシー社及びワイド社の各銀行口座から,平成8年1月8日にワイド社名義で開設された公表外口座(いわゆる従業員Oらの隠匿口座)に預金が振り込まれ,さらには,同口座から,平成9年1月8日に2億1037万円が出金されていることを探知した。
 以上の調査結果によれば,預金保険機構がスンーズ社の経営者に対し,エービーシー社及びワイド社を利用した強制執行妨害の嫌疑を持ったのは頷けるところである。しかるに,上記のように2億1037万円の使途不明金があった事実を把握していたことや,同調査は住管機構の債権回収を究極の目的としていたことなどからすれば,預金保険機構としては,いわば入口的な犯行である強制執行妨害罪の成否のみならず,最終的な,いわば出口としての現金出金2億1037万円の行方に重大な関心を有していたはずである。すなわち,強制執行妨害罪の解明を進めることにより,現金の流れ,特に経営者らの個人的な現金の隠匿(着服)を疑い,その事実の有無を解明しようとしていたことは自明であるといってよい。実際にも,S社長は逮捕直後の取調べで,捜査官から開口一番,「2億円の現金をどこにやったのか。」と聞かれている。
 以上からすると,強制執行免脱と最終的な現金の行方の問題は,密接に結びついているとみるのが自然である。
 ところが,S社長らの逮捕の翌日である平成10年10月20日,捜査機関にとって全く予期していない出来事が起こった。同日の従業員Oに対する事情聴取から,上記2億1037万円の使途不明金は,従業員O,従業員S,その他2名の合計4名の従業員がS社長の了解を得ずに退職金として分配して着服横領していたことが判明したのである。
 捜査機関は,従業員Oらの横領を知った後に,入口と出口を分ける構成,つまり,強制執行免脱は経営者らが行い,免脱によって確保された現金は,経営者ら不知の下に従業員が横領したものとして事件を構成し,S社長らに対する責任追及を続け,ひいては被告人の逮捕・起訴に踏み切った。そして,その一方で,従業員Oらの退職金横領行為を一切不問に付したのである。
 確かに,賃料の入口と出口の問題,すなわち強制執行免脱と現金着服とを別個無関係のものとして構成し立件するのが相当な場合がないではないだろう。しかし,上記のとおりの強制執行免脱とその後の現金の行方の問題との密接な関連性にかんがみると,そのような構成をするのであれば,強制執行免脱はS社長らが行ったが,その後の現金の行方にはS社長らは無関係であることを明確にしたうえでそのようにすべきである。
 ところが,関係証拠をみると,検察官において,上記4名に対し,彼らが退職金名目の隠匿金を取得した経緯を詳しく追及した形跡はない上に,公判においても,2億1037万円が使途不明であることを示す証拠(いくつかの銀行口座を経て1つの隠匿口座に集約され,そこから多額の現金が一気に解約出金されているという内容のもの)を提出するだけで,従業員Oらがこれを取得したことを示す証拠は何も提出していない。このような証拠関係では,上記現金は強制執行免脱行為をしたとされるS社長らが個人的に横領したものとの疑いを抱かせる。上記従業員4名による横領の事実は,従業員Oに対する弁護人の反対尋問の追及でようやく法廷に顕出された。このような検察官の態度はアンフェアとの評価を免れない。
 また,従業員Sの平成10年11月21日付け検察官調書は,同月1日付け検察官調書を加工修正して作成されたものであることが記載上から明らかであり,前述の同人の3日付け検察官調書と22日付け検察官調書との間の関係と同様な関係が存在するところ,1日付け検察官調書には,退職の際に2700万円の退職金を受領した旨の記載があるのに(実際には4900万円の退職金名目の分配金を受け取っており,このことを捜査機関は従業員Oからの同年10月20日の事情聴取で既に把握していた。),21日付け検察官調書には,退職金に関する記載が一切ない。そして,21日付け検察官調書は第1回公判において証拠請求されているが,1日付け調書は当初は請求されておらず,弁護人の証拠開示請求を受けて初めてその内容が明らかになった。以上の点は,被告人による本件犯行の指示を肯定している従業員Sの捜査段階供述及び証言全体についての信用性にも大きく影響してくるものと解さざるを得ない。従業員Sは,本件で逮捕されながらも不起訴処分となり,退職金の横領については前後を通じて捜査機関の追及を何ら受けていないところ,このような従業員Sが,一種の司法取引のような形で,全面的に捜査機関に迎合する供述を行ったとみられてもやむを得ないものというべきである。
7 よって,本件各公訴事実は犯罪の証明がないことに帰するから,被告人に対しては無罪の言い渡しをする。