更新意見書

 

被告人  安 田 好 弘

 上記の者に対する強制執行妨害被告事件について,弁護人は下記のとおり,更新意見を述べる。

2001年4月24日              

主任弁護人  藤 沢 抱 一

東京地方裁判所刑事第16部 御中

 

 

第1 審理の総括

1 本件事件は,平成10(1998)年10月19日のスンーズ社関係者の逮捕から始まる事件である。

安田弁護士は,同年12月6日に逮捕され,同月25日に起訴された。起訴からすでに,2年4か月が経過している。そして,現在もなお検察官の立証段階である。強制執行妨害罪の法定刑の上限は2年であるから,すでに法定刑の上限を超えた期間を用いて検察官は立証を試みている。毎月2回,それも全日の公判ペースで審理を行いながら,真相の解明とはおよそ程遠い立証方針に拘泥する検察官の姿勢の中に,本件事件の特質が表れているものといわざるをえない。そして,検察官が起訴から9か月を超える長期にわたり安田弁護士の身体拘束に執念を燃やしたことも,本件事件の特質を雄弁に物語るものといえる。

2 およそ民事事件は,多くの関係者との間の多種多様かつ幾多の状況変化を伴う事実によって構成されている。困難な事件であるがゆえに弁護士に依頼するのであるから,弁護士の扱う民事事件はより複雑である。多くの関係者の利害を調整しつつ,適切な法的助言を与えるのが弁護士の職務である。事件処理の方針も、依頼者の意向の変化、相手方の対処の変化により、臨機応変に変えざるをえない。そのような複雑さのゆえに、民事不介入の原則がとられてきたのである。そして、民事不介入の原則により、対立当事者の一方的な供述によって他方当事者の市民生活が脅かされることのない、活性化した経済社会、市民社会が成り立っていた。

しかるに、本件事件においては、民事不介入の原則を捨て去り、多くの物的証拠を押収したうえで、それらを隠し、関係者の供述を捻じ曲げ、被疑者に再逮捕の恫喝を加えつつ、旧住管・警察・検察が1つのストーリーを作り上げた。弁護人は、第1回公判において、本件事件における法律上の問題点を指摘した。このような法律上の問題点をかかえながら、何故に安田弁護士の逮捕・起訴が実行されたのか。その理由は、弁護人の第1回公判における次の意見に集約されている。すなわち「警察・検察が安田弁護士を狙う理由は明白である。安田弁護士が死刑廃止運動のリーダーとして、死刑執行阻止のために人身保護請求を行い、あるいはオウムの麻原弁護団の主任弁護人として、真相解明のために、警察側証人に対する容赦ない尋問を行うことに対する攻撃である。安田弁護士を悪徳弁護士に仕立て上げ、安田弁護士ばかりか安田弁護士と同様に人権擁護を志す弁護士に対する世間の信頼を失わせることである。」

これが本件事件の特質を端的に表す意見であったことが、これまでの審理の過程で明確になった。

3 本件事件における事実面の争点は、明白である。

   検察官は、2つの建物に関する賃貸人の変更が賃料債権に対する差押えを免れる目的で行った仮装の行為であるというのである。

しかし、安田弁護士が助言した内容は、スンーズ社の賃貸部門を分離独立させ、ここに従業員を移転して、この会社でスンーズ・グループを生き残らせ、スンーズ社の本体は時期を見て資産を売却して債務を返済して消滅させていくという基本方針であり、具体的な手順としては、スンーズ社が所有する物件を新会社に一括賃貸して、従来のテナントに対する賃貸人の地位を新会社に譲渡すること、新会社はスンーズ社に対してテナントから受ける賃料のうち、一つの目安として6割を支払って、残りの4割で物件管理、スンーズ社から受け入れる従業員の経費、新規事業の事業費等に充てることであった。端的に言えば、従業員を移籍させるための分社を目的としたサブリース方式による賃貸人の変更である。

安田弁護士の助言内容は、賃料債権に対する差押えを免れるためのものでもないし、仮装の行為でもない。

4 客観的証拠である証拠物をもとに、検察官の冒頭陳述の虚偽性について検討する。

(1)平成4年11月ころ

検察官は、冒頭陳述において、平成4年11月に香港ラマダホテルの売却により、10億円を売却代金の中からスンーズ社が保有するにいたったことを指摘しつつ、同月以降の状況について、S社長が安田弁護士に対して、債権者からの強硬な借入金返済要求に対する対応策を相談し、安田弁護士は、スンーズ社所有物件の価格が将来上がるまで債権者からスンーズ社の資産や収益を差押えられないようにする必要があるなどと指導した旨主張した。

    そもそも10億円以上もの資金的な余裕がある時期に、差押えを妨害する相談をした旨の主張は、論理的に破綻している。

そして、証拠物とも明白に矛盾するのである。

「スンーズエンタープライズ保有不動産賃貸明細(1)92/4末」(弁62)の3枚目の債権者の動きと題する書面は、平成4年11月18日当時の債権者の動向をIK証人がまとめたものである。そこには、当面のスタンスとして、次のように記載されている。

「三井信託 香港ホテル、シンガポール プロムナード処分したので、国内は2年ぐらい待ちます。」

「長銀 北千束引取ったので今後も協力します。本件の損は3分負担、シンガポール サンフォード売ってほしい。但し、他の担保はずさない。」

「日住金 野村ビルを引取る。競売に代えて。他は当面静観。」

「日興キャピタル 待つから賃収できるだけ入れてくれ。」

「安田信託 待つより仕方ない。」

「野村ファイナンス 損しても売ってほしい。」

「住総(1) 仕方ない。動きなし。」

「協同住宅ローン 同上。」

「さくら銀行 家賃の一部でも入れろ。キチンと報告してくれ。立直りを期待する。ノンバンクの賃料差押に注意しろ。」

「三和ビジネス 抵当証券登記抹消を要求されたが断る。その後音なし、やや半年」

「住商リース 仕方ない。頑張ってくれ。動きなし。」

「兵銀ファクター 安くても売ってほしい。損切も仕方ない。」

「第一生命 仕方ない。上位の三和はどうですか、頑張ってくれ。」

「住友銀行六本木 個人貸しは保証会社が動くので止められない。」

「住総(2) 仕方ない。早くニュージーランド売ってくれ。」

これらが平成4年11月当時の債権者の動きであり、スンーズ社が認識していた債権者のスタンス、すなわち姿勢である。このような状況において、検察官がいうところの「債権者からの強硬な借入金返済要求に対する対応策」や「スンーズ社の資産や収益を差押えられないようにする必要がある」などという話が持ち上がるはずはない。

「債権者の動き」と題する書面の裏に記載された図(以下、「チャート」という。)は、安田弁護士の手書きのチャート及び文字であるが、S1からS2に向けて二重の矢印、S2に賃貸と記載され、S2からEに向けて二重の矢印がそれぞれ記載されている。そしてEからS2に向けて矢印が記載され、その矢印には100という数字が記載されている。S2には40という数字が記載され、さらに下方向に矢印が記載され、40という数字が記載されている。S2からS1に向けて矢印が記載され、60という数字が記載されている。

このチャートは、新会社がスンーズ社に対してテナントから受ける賃料のうち、一つの目安として6割を支払って、残りの4割で物件管理、スンーズ社から受け入れる従業員の経費、新規事業の事業費等に充てることを説明した証拠そのものである。

(2)平成5年2月ころ

検察官は、冒頭陳述において、三和ビジネスが平成5年1月ころになると強硬姿勢を強め、同年2月12日ころ、スンーズ社が金利の内入れをしなければ抵当物件の賃料を差押える旨通告し、2月16日にはスンーズ社に対して催告書を送り付け、これを読んだS社長は、テナントからの賃料が現実に差押えられる事態が切迫していることに狼狽し、同月19日、安田弁護士の事務所において、相談したところ、安田弁護士は、三和ビジネス以外の債権者も同じように催告書を送り付けた上で賃料を差押えようとするであろうという当面の見通しを口にした上で、スンーズ社が生き残るためには賃借人とスンーズ社との間にダミー会社を介在させ、賃借人からの賃料振込先をダミー会社の銀行口座に振り替える方法しかないことを改めて強調し、逡巡しているS社長に対し、急がないと手遅れになるなどと言って、同人の決断を強く促したなどと主張した。

しかし、この主張は、全くの虚構である。三和ビジネスの催告書は、先順位の抵当権者である三和ビジネスが後順位抵当権者である第一生命に肩代わらせる方策として、I証人からの申出に基づいて送付された書面なのである。S社長が「テナントからの賃料が現実に差押えられる事態が切迫していることに狼狽」するはずもないし、安田弁護士が、「三和ビジネス以外の債権者も同じように催告書を送り付けた上で賃料を差押えようとするであろう」などという見通しを口にするはずもない。

平成5年3月3日に録音されたテープには、明瞭にI証人の発言として「何とか簡単なお手紙というふうに申し上げたんですけれども(笑)」と記録され(甲208、209)、I証人のメモにも「形式書面」として記録されている。そして、再建ノートの平成5年2月19日に関するメモは、赤ボールペンで記載されているが、同じ赤ボールペンで記載されたメモ(弁18メモ)には、「サンビル」と「ガーデン」について、8億での売却を示唆する記載がある。これは、録音テープとあわせれば、スンーズ社がサンハイツ元麻布について、第一生命に肩代わらせる方策に代わって、海外の投資家に売却を試みたことが明らかである。「・・・多分ですね、あの、第一生命さんとしては何の対応もできないだろうと。」「そこで社長もいろいろと考えたんですけれども、・・・華僑の方にですね、日本を少し注目してもらったらどうだという話を・・・しているんですけども。」「ただですね、その場合に、・・・価格というのはね、・・・今三和さんからお借りしている金額では・・・応諾してもらえないだろうと。・・・利回りが非常に厳しいと。」「今日あたりシンガポールに入りますから、・・・香港あたりによって・・・話をしてくるんじゃないかと思うんです。」「そういう可能性が・・・おありになるのかどうか。」「実質、実力としては4000万位の収入があるんじゃないかと思うんですよね。」「例えば、8億とかね、そういう数字で、例えば順位をそっくり譲っていただくとかですね。」などという会話がそれである。

検察官は安田弁護士が「スンーズ社所有物件の価格が将来上がるまで債権者からスンーズ社の資産や収益を差押えられないようにする必要があるなどと指導」したと主張した。これは、スンーズ社が物件の所有権や物件に関する賃料債権を保有しつづけるということである。しかし、スンーズ社所有物件を海外に売る話は、物件の所有権や物件に関する賃料債権を失う話であり、差押え妨害の話とは明らかに矛盾しているのである。

(3)エービーシーについて

検察官は、冒頭陳述において、エービーシー社は、エスエスコーポレーションを前身とし、長らく事業活動を行っておらず、平成5年1月27日には、商号をエービーシーに変更したことなどの登記がなされたが、右変更登記後も事業活動を行っていなかったとしたうえで、「賃料債権の差押えを免れる方策として、賃貸人であるスンーズ社と賃借人であるテナントとの間にダミー会社を介在させ、賃借人からの賃料振込先をそのダミー会社の銀行口座に振り替える方法」として行われたのが、本件の賃貸人の変更であると主張した。

しかし、エービーシー社が商号変更登記後に活発に事業活動を行ったことは、水色クリアファイル(甲210)、金融機関往復文書(甲211)、金融機関等折衝記録(甲212)など多くの証拠物により明白である。

エービーシー社は、パンフレット(甲210、弁2)を作成したが、同パンフレットにおいて、S社長は、エービーシーの会長の肩書きで、次のように述べている。「私はこれまで物流事業を手始めに、日本を基盤として、香港、シンガポール、カナダ、米国、ニュージーランド、そして中国において、不動産開発事業、ホテル事業を展開してまいりました。上海におきましては、大規模高級マンションを建設中でございます。今、世界は統一市場経済化への潮流の中にあり、中国はそのコアになろうとしています。その商都上海市、隣接する浙江省は、中国経済発展の中心に位置づけられるものと考えられます。同省寧波市は、私の父祖の地であり、これ等の地域が日中経済交流によりさらに、発展することが、私の念願でございます。今後ともどうぞ皆様の支援、ご鞭撻のほどをよろしくお願い申しあげます。」

検察官はこのパンフレットについて、ダミー会社が実体のある会社であることを仮装するために作成したものだとでも言おうとするのであろうか。白金台サンプラザに事務所を構え、電話・ファックス・机などの備品を備え、スンーズ社の債権者に対する挨拶状を出したのもすべて仮装の行為の一環だったとでも言うのか。

本件公訴事実は、大いなる虚構の上に成り立っている。エービーシー社が法人ではなく、自然人であったらどうかを想定すれば明らかである。エービーシー社の代わりに、山田太郎という人物に置き換えて、公訴事実を書き直すと概略次のようになる。

「被告人は、スンーズ社の法律・経営相談等に従事していたところ、同会社取締役S、同会社社員らと共謀の上、同会社が所有する建物の賃借人に対して有する賃料債権等に対する強制執行を免れる目的で、あらかじめ山田太郎名義の普通預金口座を銀行に開設した上、平成5年2月下旬ころから同年3月上旬ころ、スンーズ社が所有する賃貸建物の賃借人らに対し、真実の賃貸人はスンーズ社であるのに、山田太郎が賃貸人の地位を取得したかのように装い、以後賃料等を山田太郎名義の右普通預金口座に振込入金することを指示し、よって、情を知らない右賃借人らをして、スンーズ社に所属すべき賃料を同普通預金口座に振込入金させ、もって、強制執行を免れる目的で財産を隠匿したものである。」

山田太郎が架空の人物であれば、スンーズ社から山田太郎に対する賃貸人の変更は、経済的な行為としても法律的な行為としても仮装のものといえよう。この場合、「あらかじめ実在しない山田太郎名義の預金口座を開設した上」とすれば、仮装行為であることが主張されたことになる。しかし、山田太郎が実在の人物であったとしたら、実在の人物との間には経済的な行為及び法律的な行為がなされうるのであるから、上記の記載だけで仮装行為であることが主張されたことにはならないはずである。スンーズ社と実在の人物である山田太郎との間で、仮装についての合意、すなわち山田太郎は建物の管理などの一切の業務は行わず、賃借人から収受すべき賃料は一定の時期に全額スンーズ社に還流させスンーズ社の経費として用いることとし、賃貸人の変更によって何らの実質的変化も生じさせない旨の合意がなされて初めて仮装行為といえるはずである。そして、スンーズ社と山田太郎との間のそのような合意に基づいて、さらに賃借人に対して、「真実の賃貸人はスンーズ社であるのに、山田太郎が賃貸人の地位を取得したかのように装」う行為がなされることにより、仮装行為が実行されたことになるはずである。賃貸人の変更の当事者は、二者ではなく、三者だからである。

検察官は、あえてエービーシー社が実体のない会社であるとの虚構を打ち出すことにより、スンーズ社とエービーシー社との間の仮装の合意内容を全く明らかにしようとしない。冒頭陳述においても同じである。公訴事実及び冒頭陳述は、被告人・弁護人の防御のテーマであるから、かかる虚構を柱とする公訴事実及び冒頭陳述に基づく審理の続行は許容されるべきではない。

(4)その他

@平成6年1月28日付けのIメモ

   金融機関等折衝記録(甲212)の中に、丸秘と書かれたI証人のメモがある。平成6年1月28日付けのメモである。このメモには、対策として、「現賃収をキープする作戦」として、「賃収増強」「内、管理費分を増加させる(25パーセント前後へ)」と記載されている。管理費分を増加させることは、賃借人の承諾を得て行われることであり、現在の賃貸関係を維持しつつ行われることである。スンーズ社が賃貸人の変更により強制執行を妨害できると思っていたならば、何故、現在の賃貸関係を維持しようとするのか。「現賃収をキープする作戦」なるものが違法行為を辞さないという意味であり、スンーズ社がすでに行った賃貸人の変更が賃料債権の差押を免れるための仮装行為であるとするならば、平成6年1月の時点で、何故に賃貸人変更を行うことが対策として記載されないのか。検察官の主張は破綻していると言わざるを得ない。

A平成6年4月15日付の契約書類

 安田弁護士は、スンーズ社の依頼により、平成6年4月15日付で、10通の契約書類を作成した。弁33の賃貸借契約書(平成6年4月15日付、借主有限会社目黒ステーションホテルのもの、4枚綴り)、弁34の債権譲渡確認書(1994年4月15日付、有限会社目黒ステーションホテルに対する債権のもの)、弁35免責的債務引受及び債権質権設定確認書(1994年4月15日付)、弁36のホテル設備備品売買契約書(1994年4月15日付)、弁37の設備・設備リース契約書(1994年4月15日付)、弁38の賃貸借契約書(平成6年4月15日付、借主サンユーインターコンチネンタルホンコンリミティッドのもの)、弁39の債権譲渡確認書(1994年4月15日付、有限会社エービーシーエンタープライズに対する債権の譲渡のもの)、弁40の債権譲渡確認書(1994年4月15日付、有限会社ワイドトレジャーに対する債権の譲渡のもの)、弁41の相殺確認書(1994年4月15日付)、弁42の債務返済約束書(1994年4月15日付)である。

   これらの契約書類は、その後、その契約内容に従った会計処理、官公庁への届出がなされたことから明らかなように、スンーズ社が分社を試みたことを明白に物語っている。

B素案その2と題する書面

   金融機関等折衝記録(甲212)の中に、「(有)スンーズエンタープライズおよびそのグループの債務の返済及び整理について・・・要綱素案(その2)」と題する書面がある。日付は、平成6年7月5日である。日付の記載のない書面は、弁25として請求した。この書面は、その文中において、「三井信託とスンーズエンタープライズは、債務の返済及び整理につき、合意した内容を書面化して確認し、実行する。」と記載されているとおり、スンーズ社が三井信託に提案したスンーズ社の整理案である。1の目的には、「(有)スンーズエンタープライズ及びその関連企業が負担している多大な債務につき、可能な範囲の資産を売却して整理し、スンーズグループの基幹企業たるスンーズエンタープライズを消滅させ、同グループを新たな企業体として蘇生させることを目的とする」と記載されている。また、4には、「A 適当にして必要な期間内にスンーズエンタープライズの営業を終了させて無資力の法人とし、三井信託はスンーズエンタープライズに対する未収金をすべて償却する。」と記載されている。

   三井信託は、スンーズ社のメインバンクであり、最大の債権者である。三井信託との合意が成立すれば、他の債権者との交渉も同様に進められる。スンーズ社が提案した内容は、資産の売却、スンーズ社の消滅である。スンーズ社が物件の所有権や物件に関する賃料債権を保有しつづけることを基本とした強制執行妨害とは明白に矛盾する。

   平成4年11月に安田弁護士が助言した内容は、従業員を移籍させるための分社を目的としたサブリース方式による賃貸人の変更であり、平成6年4月にその具体的手順を契約書類にまとめ、同年7月には、メインバンクから承諾をとりつけようとしたのである。

CI証人の再建ノート、業務日誌、手帳

 検察官の冒頭陳述は、I証人の残した膨大なメモとも矛盾している。

   例えば、検察官は、I証人に対する尋問において、安田弁護士とスンーズとの打ち合わせを「経営会議」、賃貸人の変更を「賃料振り替え」、略して「賃振り」などと呼ぶこともあったなどと証言させ、その後の尋問において多用した。立証テーマである冒頭陳述の立証のためである。

しかし、I証人の残した再建ノート、業務日誌、手帳などの膨大なメモの中で、「経営会議」なる言葉が出てくるのは1箇所だけであり、債権者に対する口実として、「本日、経営会議にはかる」旨の記載があるだけなのである。

「賃料振り替え」、「賃振り」なる言葉にいたっては皆無である。もちろん、「賃料隠し」なる記載もない。

これらの言葉は、尋問のためにする造語と言わざるを得ない。かかる尋問方法は、予断を抱かせることを目的とする点において、不当であり、客観的証拠からも逸脱するものである。

再建ノートについては、前裁判長の要請により、本来立証責任を負わない弁護人において、多大な労力と費用をかけて判読を容易にするためにタイプ化したので、証拠として採用したうえで、早期に通読されることを強く希望する。

5 本件事件の捜査及び公判

(1)本件事件の捜査の開始は、旧住管による告発に始まるとされている。そして、検察官は、告発した経緯を立証するためとして、SMの員面調書を証拠請求した(甲5)。

    弁護人が不同意とした部分は、第7項及び資料6である。

    この不同意とした部分に記載されているのは、次のような事実であり、今後、検察官が証人により立証すべき内容である(なお、検察官が証人により立証する予定がないのであれば、弁護人は不同意を撤回するか、もしくは弁護人請求証拠として請求する予定である)。

(2)まず、調査の経緯は、「平成7年6月、海外物件を保有する海外子会社4社を、妻子らが株主となっているシンガポール所在の法人へ譲渡するなど、資産隠匿の疑いがあ」り、「平成9年2月、住宅金融債権管理機構特別整理部担当の山中弁護士のもとに、『国内資産を処分し、シンガポールへ逃亡する』旨の情報が寄せられた。」ことから、平成9年2月25日付の住管の依頼状に基づき、預金保険機構が金融機関の調査を開始した。

    すなわち、スンーズ社の内部に詳しい者が、平成9年2月に旧住管に『国内資産を処分し、シンガポールへ逃亡する』旨の情報を提供したことから、すべてが始まったのである。

(3)預金保険機構及び旧住管は、スンーズ社及びその関連会社の口座を調査し、一勧信組目黒支店のワイドトレジャー社名義、普通預金口座、口座番号「3803000−055」の口座(以下、055の口座という。)に、平成8年1月16日から平成9年1月8日までの間に、2億1037万円が預金され、平成9年1月8日に全額、現金で引き出された事実をつかんだ。そして、この2億1037万円の現金は、行方不明であった。また、平成5年10月29日に三和ビジネスが差押え決定を得た事実もつかんだ。

    旧住管は、一勧信組目黒の055の口座への入金経路を調査し、概略次のような金銭の移動を明らかにし、フローチャートを作成した。

    賃借人からの賃料は、3つの口座に振り込まれた。2億8350万円が第一勧銀白金支店、ワイドトレジャー社名義の「公表」口座に振り込まれた。1億419万円が都民銀行本店、ワイドトレジャー社名義の「公表」口座に振り込まれた。4億6300万円が第一勧銀白金支店、エービーシー社名義の「公表外」口座に振り込まれた。そして、この3つの口座に入金された金銭は、直接、一勧信組目黒の055の口座へ流れるもの、さらに、都民銀行本店、ワイドトレジャー社の前記口座へ流れるもの、また、都民銀行本店、ワイドトレジャー社の「公表外」の2つの口座に流れるものに分かれ、ワイドトレジャー社の「公表外」の2つの口座からは、一勧信組目黒の055の口座へ流れる仕組みが明らかにされている。ホテルの売上からの流れと合体して、2億1037万円もの預金が形成された事実を示している。

    このフローチャートが明らかにしているのは、犯罪の成果がどのように形成されたかであり、薬物事犯であれば薬物の入手経路、移動経路であり、窃盗事犯であれば盗品の流れである。

(4)盗品を現に所持している者が、窃盗を疑われるのは自然である。入手経路を明らかにせず、合理的な説明をなしえなければ、事実上の推定が働くといえる。よって、現金で消えた2億1037万円を誰が保有しているかが捜査の根幹である。

S社長は、逮捕後の取り調べにおいて、児玉刑事から開口一番、社長2億1000万円どこ行ったと追及された(S社長の証言)。

しかし、S社長に対する2億1037万円の追及は、まもなく、沙汰やみとなる。

(5)そして、S社長らに対する告発状(甲2、3)の合計額は、2億424万円と1億5076万円の合計3億5500万円であるのに、ここから大きく減額された2億174万円あまりの被疑事実で安田弁護士は逮捕勾留され、その後同額の公訴事実により起訴された。現金で消えた2億1037万円に合わせたとしか思えない。

(6)検察官は、証人尋問の請求において、何故か旧住管関係者を後回しにした。通常であれば、告発者がまず告発の経緯を証言するはずである。さらに奇妙なことは、債権者の次に用意されたOY証人については、安田弁護士の起訴後である平成11年2月4日付けの検面調書を証拠請求(甲79 不同意)したことである。検察官が描いた構図、すなわちエービーシー社やワイドトレジャー社が実体のない会社であり、ダミー会社として利用されたものであるならば、経理担当者について捜査段階において検面調書をとらないはずはない。

これらの奇妙な検察官の態度の裏に隠された意図は、証人尋問の開始とともに暴露された。

O証人ら4名の社員は、平成9年1月8日に現金化した2億1037万円を寺田倉庫に運び、平成10年3月の退職の際に、その大半を領得したのである。

(7)債務者が、債権者に対する返済が滞り、そのままの状態では債務者所有の不動産に対する債権者からの差押が予期される状況で、債権者に差押えられるくらいなら売却したほうがましだと考えて、相当の対価を得て売却したとしよう。この売却は、債務者の意図に従えば、消極的には差押を回避する目的、積極的には差押を免れる目的でなされたことになる。しかし、強制執行妨害罪には該当しない。仮装の行為ではないし、財産を隠匿したものでもないからである。すなわち、差押を回避する目的、差押を免れる目的のためであっても、仮装の行為とは限らず、真実の行為もあるのである。そうであれば、本件事件においては、誰と誰との間で、どのような仮装の合意がなされたかが主たるテーマでなければならない。エービーシー社が実体のある会社である以上、「人的にも物的にも、またその活動状況からしても独立企業体としての実質を有していないこと」(検察官の平成12年7月31日付け意見書)だけでは足りず、そのようなエービーシー社をどのように利用しようとしたのかが仮装の合意の中身でなければならない。

     検察官が証人尋問において、かかる視点から証人尋問を試みてきたかどうかは、第2以下で後述するとおりである。

6 検察官の立証活動における問題点

(1)保釈
 検察官は、安田弁護士の保釈に反対して、次のような意見を述べた。すなわち、「我国の金融秩序混乱の根本原因である不良債権問題の発生経緯を究明するとともに、その背後に潜む違法事案を積極的に摘発し、関与者の刑事責任を徹底的に追及することは、現在の我国の司法に課せられた重大な任務」である。この言葉がいかに嘘であったかはいまや明白である。

   スンーズ社の社員であるO証人らは、わずか3ないし4年の間に、S社長や幹部社員に隠れて、2億1037万円の金銭を隠匿した。毎年、5ないし6000万円という多額の金銭が隠匿されてしまえば、スンーズ社の返済が滞るのは当然のことであり、旧住専ら債権者の保有する債権が不良債権化するのも当然のことである。

警察・検察が不良債権問題の究明に努めようとしたのであれば、この2億1037万円の備蓄金すなわち隠匿金が、いつから、いかなる経緯から発生し、その形成に関与したものは誰であり、その形成の方法、発覚を防ぐ方法、現実の資金調達の流れ、そのことと賃貸人の変更との関係、他の不明金の存否などを究明していたはずである。公訴事実とほぼ同額の隠匿金が、O証人ら社員によって、領得されていたにもかかわらず、この点をひたすら隠して、安田弁護士を逮捕・起訴するというのは、組織的・計画的に実行された人権侵害以外のなにものでもない。

また、I証人のフロッピー削除問題についても、何らの検証も行わず、あるいは行ったとしてもその結果を隠し、「フロッピーから削除したのは私ではないと断言できる。」「何らかの形で安田弁護士が関与しているのではないかと想像している。」などという検面調書を録取するのであるから、もはや司法に課せられた任務などという言葉を口にする資格すらないというべきである

(2)公判における立証

 弁護人は、前裁判長の訴訟指揮のもと、本件事件がもともと民事事件であり、真相の究明のためには、多くの証拠により判断されるべき性格の事案であるとの考えから、検察官請求の証拠について、原則同意の方針をとってきた。I証人もしくはSNにおいて、平成5年3月3日に秘密録音した三和ビジネスとの会合内容に関する録音テープも、三和ビジネスの担当者に対する確認の機会を与えられなかった(証拠請求が遅いためであった。)にもかかわらず、秘密録音であるとか、編集加工のおそれなどという陳腐な理由を持ち出すことなく、「異議なし」との意見を述べた。検察官においても、弁護人請求の証拠について、原則同意との対応であった。

 しかるに、S証人の証人尋問に入ったころから、検察官は、証拠意見を留保することが多くなり、さらにはいわゆる「原理原則」を持ち出した。弁護人が録取した録音テープについて、「編集加工のおそれ」があるなどと主張しているのである(検察官の平成13年3月26日付け意見書)。

   ところで、S証人の2通の検面調書(甲277、286)は、「編集加工のおそれ」ではなく、編集加工そのものである(弁護人の2001年3月14日付け証拠意見書。末尾添付対照表その1および同2)。「アドバイス」を一律に「指示」と置き換えているほか、「対処方法」を「対抗方法」に換えるなど、供述者の供述自体が変わったとは思えない変更を加えているのである。さらに、安田弁護士のアドバイスである「スンーズが生き残るためには別途管理会社を作ってそこで賃貸物件の管理をするようにしなさい。スンーズが管理会社と物件の賃貸借契約を結び、テナントからの賃料を管理会社の口座に入金するようにして、例えば全賃料の3〜4割くらいを管理費として管理会社に留保すれば、たとえスンーズが潰れてしまっても、スンーズの債権者の差押えは管理会社にまでは及ばないので、管理会社の方は残る。それに、今すぐという必要はないけれども、将来的にはスンーズの社員を管理会社の方に移すようにした方が良い。」についても、これでは実質を伴った賃貸人の変更となるから、その主要な部分を削除し、加工してしまい、編集加工後の検面調書をもとに、安田弁護士を逮捕し、起訴したのである。編集加工前の検面調書は、弁護人の証拠開示の要求により、検察官が開示したものであり、検察官が進んで開示したものではない。

   さらに、S証人の尋問において、検察官は、S証人が「アドバイス」と答えているにもかかわらず、それを「指示」と置き換える尋問を行った。これも、調書の編集加工と同様の悪質な行為といわざるを得ない。

   編集加工もしくはそれに類する行為を行った者が、録音テープについての「編集加工のおそれ」を口にする資格があるのか。裁判所は、録音テープについて、採用決定すべきである。

(3)証人について

   O証人ら4名のものは、自己の刑責を免れるために過度に検察官に迎合する者であり、これらのものによる立証は、立証方針自体が不当である。とくに、S証人は、隠匿金の配分では足らず、事情を知らないS社長から600万円の小切手の交付まで受けているのである。業務上横領ばかりか小切手の詐取でもある。

本件事件において、安田弁護士は、共謀共同正犯しての責任の有無を問われているのであるから、安田弁護士との打ち合わせに出席しなかった者の証言は、無意味でもある。

まして、本件事件以外の事件に関する証人などは、論外である。

(4)刑事事件の被告人であることは、弁護士にとって大いなる痛手である。長期の審理は、痛手を致命傷にまで悪化させかねない。

よって、第2以下で述べる証人尋問の結果を踏まえて、今後、検察官において請求する証人の採否にあたっては、早期審理の実現との観点から、その採否を決定していただきたい。

 

第2 スンーズ社は、「現実に強制執行を受けるおそれのある客観的な状態の下」にはなかったこと

1 強制執行妨害罪が成立するためには、最高裁判所判例が示すとおり、スンーズ社が、「現実に強制執行を受けるおそれのある客観的な状態」におかれていたことがその前提となる。

   この事情に関して検察官は、日興キャピタルと三和ビジネスが、平成5年1月に債権回収につき、強硬姿勢を強めたこと、2月16日、三和ビジネスからスンーズ社に内容証明が届いたこと、スンーズ社は、同年3月初め、麻布ガーデンハウスの賃借人へ「賃貸人変更のお知らせ」を送付したこと、同年11月3日、サンハイツ元麻布に対して債権差押えがなされたこと、その直後、白金台サンプラザの賃借人へ「賃貸人変更のお知らせ」を送付したことなどを挙げて、これを立証しようとした。

   検察官の主張によれば、スンーズ社が、同年3月初め、麻布ガーデンハウスの賃借人へ「賃貸人変更のお知らせ」を送付したのは、2月16日、三和ビジネスの内容証明が届いたことが契機となり、まず同社の強制執行を免れるための方策として行ったということになる。

   しかし、麻布ガーデンハウスの抵当権者は三和ビジネスではなく、住商リース、住総なのである。現実問題として、債権者が、自ら担保権を有する物件以外の物件から生じる賃料を差押さえることなどありえないことである。その上、当時の住商リース等とスンーズ社との関係は、賃料債権の差押を受けるような客観的状況には全くなかった。現に、麻布ガーデンハウスは平成9年9月に任意売却されているが、その間、住商リースも住総も、何ら法的手続きはとっていないのである。

  また、白金台サンプラザについても、この物件に対する抵当権者は日本住宅金融(以下日住金)である。日住金は、債権者の中でも、最も友好的な債権者であり、当時、賃料債権を差押えるような状況には全くなく、事実、平成10年1月に至るまで、何らの法的手続にも及んでいない。

   しかも、三和ビジネスは、麻布ガーデンハウスや白金台サンプラザに対して抵当権を設定しておらず、したがって、同社がこれらの物件に関して、差押をすることは非現実的であったのである。

  このような客観的事実からしても、スンーズ社が、「現実に強制執行を受けるおそれのある客観的な状態」におかれていなかったことは明らかであるばかりか、検察官が請求した三和ビジネスのST1証人、日興キャピタルのNH証人及び住商リースのST2証人、あるいは、IK証人に対する各証人尋問によっても、スンーズ社が現実に強制執行を受ける状況にあったなどという事情は全く立証されなかった。

2 検察官は、三和ビジネスは、平成5年1月ころになると強硬姿勢を強め、同年2月12日ころ、スンーズ社が金利の内入れをしなければ抵当物件の賃料を差押さえる旨通告し、同月16日には「5日以内に延滞元利金を支払わない場合には、期限の利益を喪失する」旨の内容証明郵便による催告書を送り付け、これを読んだS社長は、テナントからの賃料が現実に差押さえられる事態が切迫していることに狼狽し、直ちに安田弁護士の事務所あてに右催告書をファクシミリ送信し、対抗策についての指示・指導を受けるため、同月19日、同人の事務所を訪れたなどと主張している。

   しかし、三和ビジネスのS証人は、平成5年2月15日付内容証明を送付したものの、社内的には、第1順位の抵当権を設定してあるので、スンーズ社には任意売却に同意させる方向で交渉し、競売は見合わせることにしたこと、後順位抵当権者である第一生命に物件の肩代わりをしてもらうようI証人を通じて第一生命に話をした可能性があったことなどを証言している。

   つまり、この内容証明は、先順位の抵当権者である三和ビジネスが後順位抵当権者である第一生命に肩代りをさせる方策として、I証人からの申出に基づいて送付された書面なのであり、スンーズ社も、このような通知がなされることは承知していたのであるから、S社長が「テナントからの賃料が現実に差押さえられる事態が切迫していることに狼狽」することなどあり得ないことなのである。現に、同年3月3日に録音されたテープには、「何とか簡単なお手紙というふうに申し上げたんですけれども(笑)」と記録され(甲208、209)、I証人のメモにも、この内容証明は「形式書面」として記録されていることは、すでに述べたとおりである。

   また同年3月3日に行われた交渉でも、内容証明による通知がなされたこととは関係なく、債権の肩代わり、物件の処分の話、物件の価値を計算する上での当該物件の賃料収入開示の話がなされているにすぎず、ここからも、賃料の差押がなされるような状況には全くなかったことを伺うことができる。

3 日興キャピタルにつきN証人は、当初から同社は、強制執行等の法的措置は採りたくないと考えていたこと、平成4年6月以降は、真下ビルの家賃収入800万円の半分を弁済に充てる交渉を顧問弁護士を交えて行い、平成5年4月15日付確約書により、その旨合意したこと、翌月から毎月400万円の支払が続けられていること、その後、真下ビルの大口テナントである医療法人和光会の倒産により入金額は減額されたものの、日興キャピタルの方針としては、抵当物件からの家賃の納入がある限り、競売申立や賃料差押を強行する考えはなかったと証言している。

   このように、平成5年2月ころ、スンーズ社が日興キャピタルとの関係で賃料差押えを回避する必要性など全くなかったのである。確かに、交渉の過程で、賃料の差押えの話は出てはいるが、これは、他の債権者との交渉の駆け引き上、スンーズ社との合意の上でそのような方法を採ることにするというもので、いったん差押さえた賃料の半分をスンーズ社に返還する話さえあったのである。

4 さらに、住商リースに関してS証人は、上海物件の売却利益による返済案に期待しつつ、内入金を得ながら抵当物件を任意売却するとの方針で静観しており、この方針は、継続して維持されたこと、その後の交渉の結果、スンーズ社は抵当物件である麻布ガーデンハウスの賃料収入から必要経費を控除した残額を支払うことを約し、それを実行していたので、賃料差押などする意味はなく、会社として検討したことはないことなどを証言している。

   確かに、住商リースからスンーズ社に対しては、平成4年4月14日と同年5月7日に催告書が送られている。しかし、その意図は、単に「金利の一部でも支払ってもらえないか」という程度の話にすぎなかったのである。そして、同年5月から毎月28万8000円ずつの支払いが始まるや、平成5年2月までの間、住商リースの社内記録には、具体的な記録は、何一つ残されていないのである。

   また平成5年2月5日付の報告書には、「当方は競売の申立てを考えている」との記載があるが、その「競売」というのは、後順位抵当権者の住総に肩代わりを促すための口実・方便にすぎず、肩代わり自体「飽くまでもお願い」という以上に出ないものであった。その時点では、未だ社内の決裁も得ておらず、少なくとも、住総が明確に肩代わりを拒否するまでは、住商リースが競売に踏み切る可能性がなかったことは明らかである。

   その後も、「1つのアイテムとして」、「とりあえずオーケーだけはもらっておこう」という意味で、抵当権実行の選択肢を持つことについて、上部の意向を質しているが、僅か「10日前後くらい」で簡単に却下されてしまっている。現場側でも、競売より任意売却のほうが有利だという判断を持っていたように、総体として競売への意欲を欠いていたことは明らかである。その後も、競売の動きを示す証拠は皆無であり、こうして、麻布ガーデンハウスは平成9年9月に任意売却されている。

   このように、住商リースによる競売、抵当権実行の可能性は全くなかったのであり、ましてや、賃料差押の可能性については、社内記録に一切言及がないばかりか、担当者も「我々は最初から、そういうものを押さえようという気はありませんでした」と頭から否定しているとおり、最初から一貫して全く考慮されていなかった。裁判長からの質問に対しても、「賃料からお金を払うと言っているのに差し押さえしても意味がないという考え方で、そういうものはもう考えていない」と述べ、上司と検討したことはないのかとの確認にも、「ございません」と言い切っている。スンーズ社からの入金は、平成4年6月以降平成9年9月まで途絶えることなく続いているのであるから、その間を通して賃料差押という選択肢はありえなかったのである。

   賃料を差押えるには、賃借人の特定や賃料額の把握等が必要であるが、スンーズ社に賃貸借契約の開示を求めたこともなく、個々の賃料額の確認もせず、何ら準備行為に手をつけようとしたこともなかった。後順位抵当権者に買い取ってもらうよう働きかけをしている一方で、競売申立や賃料差押をするということが自己矛盾であることを考えても、住商リースが麻布ガーデンハウスの賃料を差押えるということは、絶対にありえなかったのである。

   住商リースの姿勢がこのようなものであった以上、スンーズ社が麻布ガーテンハウスについて、競売や賃料差押を懸念する事情はありえなかったのであり、同社が賃料差押を回避するために「賃料振替」を行う理由などなかったことは、明らかである。

5 また、日住金との関係については、I証人が詳細に証言しているところである。

   日住金の担当者のN氏とは、I証人が食事を共にするなど、きわめて親しい関係にあり、同社からは、一貫して厳しい取り立てを受けることはなかった。平成4年から平成5年にかけてのスンーズ社の日住金への支払は、他の債権者に比較して毎月の額が多いうえ、遅滞すらしていない。Nは、I証人にとって、他の債権者からの要求にどのように対応するかということなどを相談する相手でもあった。

   同社からは、平成6年4月に期限の利益喪失の通知書が出されているが、その後、直ちに不動産の任意売却の話に進み、この時点でも、強制執行がなされる情況にはなかった。したがって、それ以前の平成5年の段階で賃料差押を受けるような状況には全くなかったのである。

6 この点に関して、S社長も、検察官の主尋問に対して、まず、平成4年6月ころの債権者の動きについて、住商リース、三和ビジネス、野村ファイナンスについても、「私はそんなに強硬ではなかったと思います」(第49回53頁)と述べ、同年11月18日の段階においても、競売や賃料債権の差押を受けることを強く警戒、心配したことはないと証言している(第50回16頁)。債権者と同じように、「あくまでも話し合いによって解決しようと」考えていたのである(同19頁)。その認識は、平成5年に入ってからも続いており、1月19日に日興キャピタルと会った際にも、賃料債権の差押を心配したことはなかったし(同29頁)、2月初めに住商リースが競売を申し立ててくるとも聞いていないし(同37頁)、三和ビジネスからの内容証明にしても、第2抵当権者である第一生命との交渉手段の一つと考えていたにすぎない(同38、58、69頁)。

7 これに反し、SI証人は検察官の主尋問の際、賃貸人変更のお知らせを送付する時点で、賃料の差押を受けるような状況があったかのごとき証言をした。しかし、反対尋問ではその証言の内容は維持されなかった。

弁護人提出の62号証(SI反対尋問資料2―40頁)の「債権者の動き」と題する書面は、I証人が作成した書面であるが、右肩に平成4年11月18日との記載があるように、その日の安田事務所での打ち合わせの際に、参加者に示された。この書面は、その時点でのスンーズ社の債権者の動向を、各債権者との交渉にあたっていたI証人がまとめたものであるから、記載された内容は、当時のスンーズ社の客観的な債権者の動きであると解することができる。SI証人は、この書面を示しての弁護人の質問に対し、最終的には、「こういう風にしてみればいかにも平和的に見える」(42回公判69丁)と返答せざるをえなかった。また、弁護人の「とりたてて厳しい支払いを求めていた債権者はいなかったのではありませんか」との問に対して、「具体的にはそうかもわかりません」(同70丁)と答えたのである。

また、平成4年の時点で債権者が頻繁にスンーズ社を訪れていたという主尋問での証言が維持できなくなると、いったん、平成5年のはじめには債権者が頻繁に来るようになったのだと証言を変えた(同78)。しかし、第44回公判の冒頭、平成5年初めの時点においても、現実には、三和ビジネスが1回、住商リースが1回、住総が別件を含めて3回程度スンーズ社を来訪しているにすぎなかったことが資料から明らかになった。SI証人も客観的資料には反論しえず、結局、そんな印象だったという程度にしか答えられなくなったのである(44回公判1丁から11丁)。

したがって、債権者の取り立てが厳しいので、その債権者が担保をもっている物件について、賃貸人変更のお知らせを送付したというSI証人の証言は、債権者の動向を客観的に述べておらず、全く信じがたいものである。

8 このように、検察官が主張しているいずれの債権者も、第1順位の抵当権者であって、競売の申立により真先に優先弁済を受け得る立場にあったものの、競売手続によるとすれば、時間的遅延や価格が低下するため、これを嫌って、後順位抵当権者に対する肩代わりや、任意売却によることを優先して考えていたのである。スンーズ社に対しては、交渉のテクニックとして競売の申立や抵当権の物上代位に基づく賃料債権の差押の可能性を告知することはあっても、実際には、スンーズ社から、一定程度の弁済がある限り、競売の申立や賃料債権の差押を行わない方針を貫いていたのである。

  つまり、本件で問題とされる平成5年当時、これらの債権者が、抵当権に基づく物上代位に基づき、現実に強制執行を行うことは、全く考えていなかったことは、明白である。

   このように、すでに取り調べられた証拠により、そもそもスンーズ社は、「現実に強制執行を受けるおそれのある客観的な状態の下」にはなかったことが明らかになっており、この一点においても、強制執行妨害罪が成立する余地はないと言わなければらない。

 

第3 分社サブリース

I証人は、再建ノートおよび各年度の業務日誌作成者であり、その記述内容の確認に基づく証言が重視されていたが、公判廷におけるその証言は曖昧なところが少なくない。しかし、I証言に再建ノートや業務日誌の記述を総合して評価することにより、スンーズ社と安田弁護士との国内問題についての打合せが、スンーズ社の従業員の生活を守るためになすべき分社サブリースについてのものであり、債権者の賃料差押に対する妨害目的など、全くなかったことが明らかとなっている。

1 平成4年のスンーズ社の動き

平成4年は、スンーズ社はメインバンクである三井信託と、香港ラマダホテルの売却の交渉が継続しており、安田弁護士および森脇弁護士との打合せの中心はその問題が中心であった。しかし、同年後半にはラマダホテル売却問題が決着し、スンーズ社は、安田弁護士の交渉によってラマダホテル内の動産類の売却代金等で金10数億円の資金的余裕を確保することに成功する。その結果、スンーズ社は、その資金的余裕を背景として、安田弁護士との打合せの中心をラマダホテル売却から国内問題に移行したのである。業務日誌および再建ノートの平成4年11月12日欄に記載されている「国内対策第1回」の「第1回」に、この事実が如実に現れている。

ア.国内対策第1回まで

まず、平成4年4月24日の再建ノートに「管理会社(40%収入)入れて収入確保」との記載があり、分社サブリースの提案が認められるが、これに対し、4月28日の業務日誌では、N公認会計士からの話として「管理会社はサク為的、不明朗ととられる公算が大きいのでは」との記載が見られる。スンーズ社は、安田弁護士との打合せについて、N会計士に確認を行っているのである。このように、安田弁護士との打合せの後に、スンーズ社がN会計士や日住金のNに相談している事実が多々業務日誌等に散見される。安田弁護士との打合せを「経営会議」と称し、安田弁護士のアドバイスを「指示」と言わせ、検察官は、あたかも安田弁護士の意見がスンーズ社の業務を決定するようなものであったと印象づけようとしているが、安田弁護士とスンーズ社との関係が、検察官が言わんとするようなものではなかったことがこれらの記述から明白になっている(後に詳述)。

8月24日の打合せにおけるメモ(弁15)には、国内債権者についての打合せが記述されている。これらの記述を見ても、スンーズ社に対して厳しい取立てを行おうとしている債権者はおらず、スンーズ社が逼迫した状況と認識していなかったことが明らかとなっている。

イ.国内対策第1回

この段階では、メインバンクである三井信託との間でラマダホテル問題の解決するに当たり、スンーズ社は、ホテル内の動産代金として金10億円を受領したほか、ラマダホテルのクローズを遅らせたことによる営業利益の確保、3年半のオペレート権の確保、国内外を含む2年間の支払猶予、香港における売却益課税免除等の利益を得、さらにはシンガポールのプラザバイザパークの売却手数料として金2億5000万円も受領しており、10数億円の資金的余裕があったことが重要である。だからこそ、目黒ハイツの改装問題について、スンーズ社において多額の負担をする方針が提起され、見積もりが実施されたのである(第45回公判速記録7丁以下。SI証言)。

平成4年11月12日、再建ノートにも業務日誌にも「国内対策第1回」との記載がある。ここで留意すべきは、再建ノートの記載の順序と出席者である。同日の打合せの冒頭に、「1.準備」との記載があり、その中の記述は、安田弁護士がスンーズ社に対して調査準備を依頼した事項が記載されている。すなわち、国内対策第1回の実体は、国内対策の打合せを行うための準備期日に過ぎなかったのである。そのため、出席者に社長であるS社長の名前はない。この点について、I証人は、S社長が同席していたという検察官の主張に配慮し、明確な証言を避けているが、社長であるS社長の記載がないということは、S社長は出席していなかったと認められる。I証人は、第24回公判速記録41丁において、平成5年2月12日の業務日誌の記載についての質問に対し、

「……会議には社長は出席していますか。

このとき社長はいないんじゃないですか。

それはどういう根拠から言えますか。

社長が一緒にいるときは、僕は社長と書いていると思いますよ」

と明言しているからである。スンーズ社のワンマン社長であるS社長が出席しているのに、その名前を書き忘れることは考えられない。同日の準備の打合せにはS社長は出席していなかったことが明らかである。

第1項につづいて、同日の再建ノートには、「2、物件ごとに検討する」と記載され、国内対策の基本的考え方が提示されている。それまでの国内対策は、ラマダホテル問題の打合せ例えば、平成4年8月24日の打合せでは、弁15号証でも明らかなとおり、債権者毎の交渉対策がなされたに過ぎない(26回公判速記録31丁)。

平成4年11月12日の再建ノートの「3 対策のおおよそ」は、安田弁護士との打合せのについてのI証人作成にかかるノートの中で、唯一、「差押対策」との記述があり、債権者からの差押について話がなされたと推測しうる部分である。しかし、上述のとおり、そもそも同日の打合せは「準備」のための打合せに過ぎない。また、その記載された内容を見ても、スンーズ社は抵当に入っていない物件など所有していなかったのに「() 抵当権にはいっていないもの」といったスンーズ社における対策としての意味がない記述や、「収益差押対策」というように法律家ならば決して使用しない用語が項目に記載されているところからすれば、全く安田弁護士とは関係ない打合せの結果を合わせて記述したか、あるいは、この機会に、I証人が安田弁護士に一般的な質問をするために用意された記述と解するのが相当である。

ウ.11月12日の国内対策第1回以後の、平成4年のスンーズ社と安田弁護士との打合せは、

11月18日 弁62(チャート等)、資料あり(再建ノート)、別紙(業務日誌)

11月25日 物件視察

12月10日 「ハイツ、見積り」「企業すべし!」

12月17日 「ハイツ 改装ヒは?」

の4回である。平成5年になってからの最初の打合せは、1月25日であり、平成4年最後の打合せから1ヶ月以上も間隔があいている。しかも、平成4年12月17日の再建ノートの記載は、長銀(LTCB)と伊藤忠(CI)との北千束、自由が丘問題の相談が中心である。平成4年の国内対策は平成4年12月10日に完結していたものと認められる。

平成4年11月18日以後の国内対策の内容は、概要次のとおりである。

@ 11月18日の打合せにおいて、スンーズ社は安田弁護士から準備するように依頼された所有物件の一覧表を用意した。これに対し、安田弁護士はスンーズ社のS社長らに対し、サブリースによるスンーズ社社員らの救済案を提示した。その説明の際に安田弁護士が記載しながら説明したのが、弁62の3枚目裏のメモ、いわゆる「チャート」である。ここにおいて、安田弁護士は、スンーズ社の所有物件から優良物件を選別し、その物件について新たに設立する別会社がサブリース契約を締結し、従業員を別会社に移籍させてその給与を確保することを提案した。さらに、サブリース契約の永続性は期待できないのであるから、別会社は、サブリース契約継続中の余力のある間に新規事業を興し、きちんと独立する必要を示した。再建ノートの国内問題打合せの実質的最終日である平成4年12月10日に記載された「企業すべし!」は「起業すべし!」の誤字であるが、スンーズ社の別会社が新規事業を興すことによって、最終的にスンーズ社の社員らの生活が守られるのであり、新規事業を興すことが、再建策の最終目標であることを端的に記述したものであったのである(第28回公判速記録35丁裏ないし37丁裏)。その新規事業の具体例が、国際不動産仲介業や中国進出企業に対するコンサルタント業務等のエービーシー社の活動事業である。

A サブリースの対象としては、まず、11月18日の段階で、大きな収益力のある、弁第62号証の1枚目に力強く丸印の付されている目黒ステーションホテルと白金台サンプラザが選抜され、さらに11月25日の物件視察において、保証マンション方式のため賃料収入は極端に少ないが、駅に近く至便であり、古くても質の高い目黒ハイツが選ばれた。

この事実は、平成5年の再建ノートで明確に記述されている。再建ノートに貼付された「93/2/12」と上部に記載されたメモでは、「3.新会社」の欄に、白金台と目スホの記載があり、再建ノートの「93.2.12」「2.19」「3.1」「3.15」の記述が一開きに記載されている頁をみれば、「新会社」「()白金台」と同じ項目の横の並びに「目Shotelも早く」「ハイツ改装資産……」との記述があり、新会社での展開がこの3物件で検討されていたことが明らかとなっている。I証人はこの3物件で新会社が展開されていくことについては明確に記憶している旨証言している(第28回公判速記録28丁裏。なお、上述の再建ノートの記載の読み方については、第25回公判速記録32丁表以下に詳しく証言されているので参照されたい)。

B 目黒ステーションホテルについては、平成4年4月、5月の管理会社構想の段階で、ラマダホテル類似のオペレート会社構想があり(平成4年4月28日欄「ホテルの管理会社化」)、同年6月10日には有限会社目黒ステーションホテルが設立されていた。

サブリースを行うことに特に支障のなかった白金台サンプラザには、翌平成5年1月には商号変更および本店移転によりエービーシー社の本店がおかれた。

そして、目黒ハイツは、改装問題を抱えていたが、平成5年3月には、目黒ハイツを本店所在地とするワイドトレジャー社の設立登記手続がS税理士において開始されている。

3物件によるサブリース構想は、実体を持って、具体的に着手されていたのである。

C SI証言で特に問題となる「賃貸人変更のお知らせ」のサンプルについても、再建ノートおよび業務日誌の記載から、安田弁護士からスンーズ社に渡されたのは平成4年11月18日であったものと推認され、SI証人の弁護人らに対する法廷外供述が真実であることが裏付けられている。再建ノートの平成4年11月18日には、「資料あり」との記載があり、業務日誌の同日欄には「弁護士 別紙」との記載があるが、別紙と認められる書類はどこにも貼付されていない。このような記載は他には見当たらない。スンーズ社が安田弁護士に相談するにあたっては、スンーズ社側から資料を持って行って見てもらうことが当然であり、スンーズ社側の資料について、「資料あり」とか「別紙」とか記載することは考えられない。これは安田弁護士側からスンーズ社側が受領した資料である。この日にはチャートが作成されているが、チャートは単なるメモに過ぎない。わざわざ再建ノートや業務日誌に記述するような重要な資料であり、しかも、I証人が管理していなかった資料(Iが持っていれば、再建ノートや業務日誌に貼付するなり、さらに具体的なメモが残されているはずである)として考えられるのは、SIが持ち帰ったサンプル以外には考えられないからである。

D 平成4年の国内対策においては、上記3物件が選定されたが、スンーズ社内部においては、目黒ステーションホテルは有限会社が設立されていたものの、Oらの横領行為の中心が平成4年当時は目黒ステーションホテルであったことから、O、Hらの抵抗などによって宙に浮いていた。安田弁護士は、そのことを知らず、平成5年3月1日の打合せにおいても、目黒ステーションホテルのサブリース(オペレーション)を早くやるように提言していた(再建ノート平成5年3月1日欄「目Shotelも早く」)。

目黒ハイツは、保証マンションといいう特殊な賃貸借契約が締結されていたこと、居住者との間で改装問題を中心とする交渉が継続しており、平成4年12月に改装方針が大幅に変更され、新たに改装見積もりを行ったこともあって、直ちにサブリースを実行する状況になかった。

平成4年末の段階では、白金台サンプラザが最初のサブリース物件として選別された(上述の平成5年の再建ノート参照)。そして、スンーズ社において、エービーシー社が商号変更等によって活動を開始し、新規事業として、国際不動産仲介業務や中国進出企業に対するコンサルティング業務などが準備されたのである。

2 平成5年1月ないし3月

ア.平成5年1月27日、商号変更および本店移転によりエービーシー社が白金台サンプラザに準備された。

イ.同月25日の業務日誌左頁には「ABC −国内金ゆ・リースも、名称変更」との記載がある。エービーシー社は、サブリースのほかに新規事業として「…リース」行うことが検討されたのである。ここに「中間会社案」との記載があり、上述のチャートを見たI証人の認識として記載されたものと推認される。

ウ.同年2月9日にS社長が帰国し、同月12日に安田弁護士とスンーズ社との打合せが行われた(再建ノート、貼付メモ)。上述のとおり、新会社=サブリース物件として記載されているのは、ここでは、白金台サンプラザと目黒ステーションホテルである。

他方、債権者との関係で、麻布ガーデンハウスとサンハウス元麻布の記載があるが、この段階では、サブリースの欄(段落)とは切り離されている。この2物件は、いずれも後順位抵当権が設定されている物件であり、後順位抵当権者との対応について、先順位抵当権者と打合せをおこなっていたものである。このことは三和ビジネスからの内容証明とテープの内容で指摘したとおりである。

エ.さて、同月16日、この日は安田弁護士との打ち合わせはなく、スンーズ社の内部での会議が行われただけであるが、同日の業務日誌には次のとおりの記載がある。

 

 

「社内 又貸会社について、とりあえず準ビ

ガーデン/サンハイツ −各10オクで肩替る話。利回りでもってゆく。

社長が東南アの金ゆ機関回って、3ケ月くれ。」

 

 

ここで初めて、麻布ガーデンハウスとサンハイツ元麻布がサブリースの対象物件として登場する。安田弁護士のいない場所である。この発想は、海外での不動産取引経験の多いS社長によるものであったことは明らかある。S社長は、安田弁護士のサブリース構想を自分なりに展開したのである。

I証人は次のように証言している(第23回公判速記録76丁以下)。

「ひるがえって、2月の段階の話に戻るわけですが、14の3ぺージで、平成5年2月16日の、社長が10億で肩代わりするよという話について、ガーデン、サンハイツの前に、又貸し会社について取りあえず準備するというのは、そういうサブリースをしたり管理委託契約をする会社を準備してもらって、そこにサブリースなり管理をさせて、そういうサブリースないし管理がついた物件を東南アジアで売ってくると、そういう話じゃないんですか。

そういう解釈はできますね。

利回り持っていくというのは、結局、海外の資産家なんかは、不動産を自分で管理するんじゃなくて、結局、投下資本に対して幾ら利回りがあるのか、それだけであって、管理なんかしたくないと。10億投資して4パーセントの利回りでこれだけ賃料が入ってくるんであれば、管理ないしはオペレートは中間の会社、賃借会社に任せるんだという形なんじゃないんですか。

そういう解釈はできますね。又貸し会社を準備取りあえずしておくと、それでそこに管理をさせておいてその投資家を募るということは、十分そういう意味には取れますね。僕は、出た話をぱっと書いて、その場でぱっと思った僕の理解では、そこまではちょっと考えていなかったですけれどもね。確かにそういう解釈はできますね。」

オ.目黒ハイツについては、居住者との交渉が継続していたが、サブリース会社として、SNがS税理士に対し、S社長が海外渡航中の平成5年3月初旬に、目黒ハイツを本店所在地とするワイドトレジャー社の設立を依頼した。この部分については、SI証言で事実関係が明らかとなっている。

3 平成4年11月から平成5年3月にかけての総括

ア.新会社によるサブリースは、当初の打合せのとおりに進展していない。その最も大きな原因は、O、SIらの横領継続の意図である。Oが分社サブリースに抵抗したことは、例えば、第20回公判速記録18丁表以下において、I証人は、以下のように証言している。

「そこで、証人が、安田弁護士に対して、電話をかけて、経理の分離について、あるいはOさんの説得についてお話しになったという記憶はありませんか。

 これは、何か安田先生と、そういう話が、経理についての話があって、どっちが語りかけたのか、ちょっと覚えてませんけれども、あって、それで、私のほうから、うちの社内では大変な問題があって、Oさんがなかなか協力的でなくて困っているという話をしたんですね。で、先生から直接話してくれませんかというんで、Oに私が電話をして、先生につないだことがあるような記憶がありますね。で、先生とOのやり取りは、先生の、ふん、ふん、というような話だけで、先生から特におっしゃられたような記憶がないんで、私も記憶してませんけれども、そういうことがあったような記憶があります。

今、ちょっと状況がよく分からなかったんですが、だれがどこにいて、電話のやり取りがあったことになりますか。

 それは、もしかすると、私が先生の事務所を訪ねたのかな、先生と2人だったと思いますね。それで、ちょっとここがよく分かりませんけれども、その経理を独立させることが非常に、ちゃんとやらなきゃ問題があるんじゃないかということで、先生に私が話したのか、あるいは先生に呼ばれて私が行ったのか、2人で先生の事務所で話をしてまして、私のほうから、Oは非常に非協力的なんで、非常に難しいんだという話をしまして、先生から直接説得してくれませんかということで、私がOに電話をして先生に取りついだと、これでいいですか、そんなことだったと思うんですけれどもね。」

さらに、第28回公判速記録55丁裏以下でも、

「なかなかやらなかったというのは、先程、平成5年の2月頃の三物件問題がありましたね、具体的には目黒ステーションホテル、目黒ハイツ、白金台サンプラザ、特に目黒ステーションホテル、目黒ハイツについては結局、やっていないですよね。

そうですね。

あるいはやろうとしたけれども、結局、できなかったということでは、何かしらでやっていないのかという話はあったかもしれませんね。それがどれだかというのは、明確に何をやっていないのかということを言われていたのかはあなたの記憶ではないんですか。

全く私はお任せで、外回りの仕事で、きゅうきゅうとしていましたから。また、冒頭、ぼくは申し上げたんだけれども、そういう会社の新しいスタートということが、どうも例えば、O、SIたちの利益とは相反するということで、全然、同調しない、理解を示さない、話にも何もならないんで、これはもう社長、先生のご指導がなければできないということで私はもう手を引いていましたから。」

と証言している。

また、I証人は、同速記録57丁裏において、Oらは、分社サブリースに反対する理由を、転籍の際の退職金問題と経理分離が面倒臭いこととしていたと明言する。分社サブリースが頓挫したのは、Oらの退職金名下の横領のためであり、その結果として残された分社サブリースの形骸が、あたかも賃料債権差押に対する対抗措置であるかのような外形を残したに過ぎないのである。

イ.スンーズ社あるいはI証人は、安田弁護士との打合せにだけではなく、国内の債権者対策や、安田弁護士の分社サブリースの具体的内容についてまで、日住金のNやサンケンのKらにも相談していた。相談を受けたNらは、分社サブリースの建設的再建案を理解できず、これを債権者からの差押等に対する対応策と誤解したうえ、差押に対する妨害としての効果がないと批判した。I証人らは、分社サブリースを充分に理解できず、さらにNらの批判により、さらに理解が困難になっていったものである。

この事実を、再建ノートおよび業務日誌から整理した表が第28回公判速記録に添付されたIK尋問資料18の43頁の時系列表である。上述したとおり、I証人は、安田弁護士との打合せの後で、その内容をNらに相談していることが一目瞭然である。とりわけ、日住金のNは、分社サブリース(管理会社あるいは中間会社などと記載)に対し、批判的であり、「弁護士口座への支払」「賃収(賃料)債権譲渡が必要」などと話をし、麻布ガーデンハウスおよびサンハイツ元麻布の賃貸人の地位の譲渡に対して、「引延ばしただけ」と批判している。当然であろう。安田弁護士の分社サブリースは、債権者からの差押の対抗手段として提案されたものではないからである。

賃料債権差押において、賃料債権譲渡であれば原則として債権者(抵当権者)は債務者の賃料債権がなくなってしまうのであるから、差押が不可能となるのに対し、サブリースで行われる賃貸人の地位の譲渡は、差押えるべき債権が債務者に残されている。しかも、賃料債権差押手続は、サブリースになれば賃借人が一人になるため著しく簡略化されるのみならず、サブリースがなされていない一般の建物賃借人の場合には、各テナントは保証金返還請求債権と相殺を主張して賃料債務の支払を拒むために、差押債権者(抵当権者)が現実に回収することは困難であるのに対し、サブリースがなされていれば、サブリース会社は支払をなすことを前提としており、差押債権者は実質的回収をすることが可能となる。サブリースによって、債権者が賃料債権の差押による債権回収を妨害されることもないのである。そのことを端的に物語っているのがチャートの「S1→S2」の「→」に向かっている長い矢印である。このチャートは、債権者が差し押さえを実行することを容認し、これを妨害する意図など微塵もなかったことを如実に物語っているのである。

賃料債権の差押の対抗措置としての「賃料債権譲渡」の記載は、安田弁護士とスンーズ社との打合せの中には一切出てこない。「差押対策」との記載にしても、平成4年11月12日の再建ノートの記述だけであるが、その記載自体は準備の打合せにおける一般論に過ぎず、しかもその内容を検討すれば安田弁護士との打合せの話であるかすら疑わしいことは、上述のとおりである。

I証人は、自分自身が安田弁護士との分社サブリースについて十分に理解していなかったことを繰り返し証言しているが、その誤解したことについて、第28回公判55丁で次のとおり証言している。

「あなたの証言にこういう証言があって、気になる証言があるんです。前回の証言なんですけれども、新会社の話までいったことが何回かある、そういう話の中で賃料振替という話がぼっとわいて出てきた。どうもこの問題というのが、どうも頭の中にないと、単独で賃料振替の話だけ出てきちゃったと、私の頭の中ですよ。その関連のないのが残念であるというように述べられているんですよ。問題はぼっと出ちゃった時期だと思うんですよ。話だけが出てきちゃった、ここが飛び出しちゃった、この時期の問題なんですよ。あなたが記載されている業務日誌には出てこないから、私たちが見ている業務日誌の段階ではその言葉がなくて、そのあとから、それが抜き出されちゃったんじゃないかなと私たちは思ったんですけれども、どうかなということなんですね。

あとでいろいろと聞いていくと、いわゆる会社の再生というのか、新会社への移行ということ自身は、別にそういうことがきちんと行われていれば、これが犯罪行為というふうにはどうも認定されない余地があるというような話を聞いて、私は非常に残念だと思ったんですね。安田先生からは、さっきの企業すべしも含めて、建設的な意見をずいぶん聞いて、香港のホテルのときも頑張っていただいて、非常に前向きにやってきたと、ところが、実際に賃料振替行為が行われた頃の直前というんですか、その頃になぜか、私の記憶にあるのは、早くやらないと間に合わなくなるよと、まだやらないのというような話が安田先生からあったように記憶してるんですね。それがその当時は私は一般論として出てきた賃料の差押えということに結び付けてだけ、私の頭の中に残ったんですね。それで会社の再生ということと切り離されてしまったと、私の頭の中で。非常に残念だと、これだけ、いろんな用意周到でやってきた中で、そういうことが間違えて行われたのか、これはそういうふうに言われてもやらなかった人、O、SIがやらなかったのか、あるいは社長の指示が弱かったのか、先生の指導が弱かったのか、そのへんがちょっとわからないんですね。ぼくは自分自身としては何とかそれを結び付けて、これをてこにして、新しい会社の存続ということを、出発ということを、結びつけられないかと思って、Oに経理をどうするのと聞きに行ったり、何か、ある時期、どうもなかなか経理がうまくいかないんですよという話を先生としたこともあるような気がするんですね。」

ウ.さらに、賃料債権差押を妨害するための打合せなのであれば、当然話題に上らなければならない事柄が、安田弁護士とスンーズ社との打合せの中で全く表れていないことが注目されなければならない。賃料と銀行口座である。検察官の公訴事実、冒頭陳述の構成であれば、賃料を隠匿するための銀行口座が極めて重要な意味を持つが、安田弁護士とスンーズ社との打合せの中で、賃料を振り込んでもらう銀行口座に関して話し合いがなされた形跡は一切認められない。話し合われているのは、常に、サブリースを行う「会社」なのである。管理会社、中間会社、賃借中間会社、又貸し会社、さらにはスルー会社にいたるまで、常に「会社」という法人格が主体とされている。サブリースを行う法人格としての「会社」を中核とするスキームの話がなされていたのであって、テナントからの賃料をどこに確保するか、などといった瑣末な議論はなされていなかった。ましてや、賃料振替とか、賃振りとかいった言葉は、安田弁護士との打合せには全く出てきていないことが明らかとなっている(第28回公判速記録52丁裏以下。とりわけ54丁)。

この点でも、検察官の主張はその基礎を失っている。

4 平成5年4月以後。

ア.平成5年4月以後の記述の中でも、安田弁護士との打合せにおいて、スンーズ社および安田弁護士がサブリース会社を実体のある独立した会社として運営している認識がうかがえるし、I証人もその旨を認識していたが明らかとなっている(第28回公判速記録第59丁以下)。

イ.ラマダホテル解決後、メインバンクの三井信託と小康状態であったスンーズ社は、平成6年から、三井信託との最終的解決のための交渉を開始し、平成7年9月22日には協定書などにより実質的最終解決に至った。そこで、安田弁護士とスンーズ社は、三井信託との合意に基づいて、海外資産の余剰金でスンーズ・エンタープライズ・ジャパン・リミテッド(「旧エービーシー社」)に目黒ステーションホテルおよび目黒ハイツを買い取らせ、この2物件を業務の中核に据えて生き残りをはかることとした(第29回公判速記録3丁表以下。とりわけ、安田弁護士がそのことを明言していたことについて7丁裏)。これは、三井信託との合意ができてからの発想ではない。その以前、分社サブリース構想において既に予定されていたのである(第28回公判速記録60丁裏)。再建ノートの平成6年6月28日の欄の記述について、I証人は次のとおり証言している。

      「この買取物件選定の時期、これはどういう意味だか、記憶にありますか。

ちょっとよくわかりませんけれども、要するに、新しい会社で生き残っていくためには、中間会社として生きる道をもちろん考えられていたわけでしょうけれども、1、2の物件については、何とか海外から資金導入して、購入できないかと、別会社で購入することが可能じゃないかと、そういうようなことでしょうね。」

シンガポールオルソンホテルに担保余力があるなど、スンーズ社の海外物件には余力があり、上記2物件の買取が可能であると判断されていたのである(第29回公判速記録6丁表)。

他方、他の物件については、各抵当物件を代物弁済し、あるいは売却処分したうえ、残債務の償却による最終的解決を図ることとした(第28回公判速記録79丁裏以下、第29回公判速記録6丁裏以下)。

「9月に成立してますけれども、その年のうちにXデーが設定された記憶はありますか。

ちょっと私ね。要するにXデーというのは金利を払わなくなるという意味でしょう。いつから払わなくなったのかちょっと知らないもんですから。

問題はXデーの目的なんです。Xデーを決めて金利の支払を止めて次にどうするという話合いがなされていたのでしょうか。

これは債権者には抵当権を執行してもらうということだと思いますよ。というふうに僕は理解してましたけどね。

抵当権執行ということもありますけれども、債権者は全部抵当権を持っているのですね。

ええ。

各債権者が持っている抵当物件を、それぞれ金利止めちゃってもう払わないよということをばねにして、もうこれ払えない、だからこの物件は持っていってくださいと。

そういうことですね。持っていってくださいと。」

「ただ、ここでXデーを設定しましょうというのは、不安は別として、少なくとも他の債権者をここで全部債権を整理しちゃいましょうということだったわけですよね。

ええ。

つまり、どういうことかというと、金利支払ストップをてことして、抵当物件の引取り、あるいは代物弁済、そして場合によっては残債務があるとなれば、それを損金処理で償却さしてもらう、そういうことを交渉しようとしていたわけですね。

・・・まあ、要するに、担保物件を持っていってもらおうということですよね。

第27回公判で、住友銀行人形町支店での交渉の話を聞きましたよね。

はい。

そのときにもやはり、償却と言われることで、少なくとも資産がないことを証明してくれたら、償却しちゃうよというふうに住友銀行人形町支店が言ってましたということですね。

そうですね」

そして、このように上記2物件を除いては債権者に引き取ってもらうか処分してしまうことになれば、それらの物件についてはサブリースの必要がなくなったと判断されていた。物件の引取交渉をする以上、スンーズ社側が抵当物件からは一切手を引いていなければ、債権者(抵当権者)は納得しないからである(第28回公判速記録83丁)。

「そこでちょっと話を戻します。Xデーを作って、担保物件を引き取らせるという話をするときに、その際にサブリースをやっている物件についてはそういうのをやってもしょうがないということで、戻すという話があったんではありませんか。

私は聞いていないですね。当然、そういうことは必要ですよね。私もサブリースをやっていたことさえも忘れていましたから。

今のあなたの認識からすれば、こういうXデーを作るとして、そこにサブリースがあれば戻すべきなんだというふうに思いますか。

それは当然でしょうね。」

三井信託との協定書が締結されたのが平成7年9月22日であり(弁51ないし53)、金利払い停止の所謂Xデーが同年10月なのであるから(第28回公判81丁裏)、本来であれば、このXデーまでにサブリースが戻されていなければならなかったのである。そのような打合せが平成7年9月25日になされている(第29回公判24丁表以下)。

「九月二五日、会議が行われているんですが、IK尋問資料19の22ぺージを見てください。これは安田弁護士の発言があるところからすると、安田弁護士は出席している、それからIさんも出席している、そのほか、SさんとかSIさん、こういう方たちも出席してるわけですね。

ちょっとこれは書いてありませんから、たぶん、いたんじゃないかと思いますけど。

具体的な言葉としてXデーという言葉で使われたのか、とにかく、一定の日を決めて、会社を消滅させる、そのために物件を引き取ってもらう、引き取らない場合には利払いを停止して、引き取るように持っていく、そういうような話として出たのか。

言葉としてはXデーという言い方だったと思いますね。Xデーは何かというと、要するに、金利の支払いをストップして、物件を金融機関の都合で持っていってもらうようにすると、こちらはそれに対して、別に何の抵抗もしないと、どうぞ、お願いしますといってやるというようなのがXデーの認識でしたね。

引き取ってもらった結果、財産がなくなれば、それでスンーズは消滅させるということですね。

そうですね。

この機会にSIさんがいたか、いないか、はっきりしないということであれば、そういう意思一致のもとに会社としては動いた、ですから、出ていない人にも、こういう協定が緒ばれて、Xデーというのを作って、先程言ったような趣旨の行動をするぞという意思の徹底はなさったんでしょう。

たぶん、このとき、いたと思いますけど、いなければ言うようにしていたと思いますけれども、私が言う立場じゃないけど、こういう話があったよということはメモを渡してやったと思いますが、このXデーというのは、明快に金利の支払いをストップしていますから、Oが。そういうことは当然、社内で知らない人はいないという状態にはあったと思いますけど。Xデーだから、サブリースを解除するというふうに、それに結び付けて彼らが考えたかどうか、そこまで私はちょっとわかりません。」

ウ.ところが、その通知を出すべきSIはこれを行わなかった。退職金積立名下の横領が困難になるからである。横領を知らないS社長が、平成8年10月になってもサブリースが継続していたことを知って「まだやってるか」、と驚いたのはこのような経過からである。犯罪行為の認識とは全く無関係である。このようにSIの処理が遅れていたことは、I証人も認識していた(第29回公判速記録30丁表以下)。

「それで結局、代物弁済なり任意で引き取ってもらう交渉、これはだれが担当なんですか。

代物弁済で引き取ってもらうということは、最初の口火は私でしょうけれども、実際にやるのはSIですね。

作業はね。

ええ。

SIさんのほうが作業を遅れた、ないしはどうもスムーズにてきぱきやらないなというような印象というのはあったでしょうか、なかったでしょうか。

それはさっきも同じことを聞かれたんですけれども、そういうことはありましたね。ただ、金融機関側もそれほど、物件の処分を強く求めたということも、全部の金融機関という面でみると必ずしもそれほど迫力なかったですね。日住金の桜新町ですとか、割合そういう収益の上がった物件ですか、これについてはなかなかSI氏はやらなかったですけどね。そういう印象ありますけれども。じゃ、その他の金融機関が非常に回収を急いだかというと必ずしもそうでもなかったですね。そういうことはありますので、それはちょっと含んでおいてもらいたいと思いますね。」

5 以上のとおり、安田弁護士とスンーズ社との打合せに基づく分社サブリースには何らの犯罪性はなかったものであった。しかるに、その建設的再建案は、スンーズ社において実行される際に、O、SIらの横領行為等によって本来の打合せの分社サブリース再建案が大幅に変容されてしまったものである。

このように、スンーズ社の行った行為は、安田弁護士が打合せにおいて示した分社サブリースとは全く異なるものであり、そのことはI証言その他の証言によって既に客観性のある事実として認定できるに至っている。

 

第4 分社サブリースの阻害要因について

1 本件におけるOの位置

(1)安田弁護士は、スンーズ社のS社長より、スンーズ社の国内対策の相談を受けた時、アドバイスをした。それは、これまで詳細に述べた如く、スンーズ社の賃貸部門を分離・独立させ、ここに従業員を移籍させ、サブリース方式による新会社での生き残りであった。

(2)そのことは、Iの再建ノートを始めとする、同人が記載した日誌・手帳等の次の如き記載から認められる。

ア.平成4年4月23日  安田・森脇両弁護士と、スンーズ社社員との打合せにおいて、「管理会社(40パーセント収入)入れて収入確保する」(I・尋問資料14−1)

イ.平成4年4月28日  「ジェームス・ホテルの管理会社化」

                               (同上、14−2)

ウ.平成4年12月10日  「(目黒)ハイツ 別会社により改築

                                (目黒ステーションホテル)・動産のkeep−リース化

                                              ・オペレーター 別会社」

                                (同上、14−9)

エ.平成5年2月16日  「又貸会社について、とりあえず準備」

                              「N先生、賃貸仲間会社の経理について」

(3)又Iの次の如き証言からも、そのことは認められる。

ア.Iは検察官の質問に対し

「そのほかに、何か会社の先行きのことについて話をして、古参社員などの反発を受けたというような話も聞いているんですが、そういうことはありませんでしたか。

             それはあります。それは非常に記憶が鮮明にあります。

          それは、どんなことだったか簡潔に教えてください。

                それはスンーズ社の、特に国内事業ですけれども非常に収支が悪くなって、国内は立ち行かなくなる状態になってたわけですから、そこで・・・その状況のまま持っていけば、もう会社は沈没するだけであるということで、その当時の会社を旧会社という形で呼ばせていただきますと、旧会社には資産と負債だけ残して、つまり人間が離れて、人間はその物件を管理するだけの新会社を起こしてそこに移ると、物件を管理することによって得る管理料、収入、これで人件費を賄うと。その範囲の人員に絞りこんでいくというようなことを考えました。

          それを考えた時期は、いつごろですか。

                これは多分金利の支払が止まったですね・・・一段落したころですから、平成4年ごろからだろうと思います。

          それは安田弁護士との関係で出てきたんですか。それとも安田弁護士とは関係なく、証人自身の考えとしてあったアイデアなんですか。

                これは私自身も考えておりました。」

と証言している。(14回公判−3〜4丁)

      その上で、

  イ.Iは弁護人の質問に対し

「平成4年4月24日・・・そのときに安田さんから管理会社の話を聞いたということになって、その中身なんだけど、中身は、あなたがリストラ案として14回公判で述べたのと同じ中身だったんですか。

     もう同じですね。

同じでした。

はい、同じです。そういう意味では、この管理会社構想というのは先生の考え方と私の考え方はぴったり合ってると思います。

どこから考えても、そこ行っちゃうということですか。

     はい。

そうすると、さっきあなたちょっと言いかけたけど、平成4年の11月の段階じゃなくて、もう4月の段階でその種の話は出てると。

    そういうことです。」

と証言した(16回公判−48丁)。

      ウ.安田弁護士の分社化・サブリースの考え方は、最後まで変わることなく一貫していたのである。

           この点、Iは

        「日興キャピタルの関係で、Iさんの認識としては、具体的に安田さんにいろいろ相談をした、そのときに安田さんのアドバイス、具体的に言うと、S社をどう生き長らえさせるのか、ないしはS社の従業員をどうしたらいいのかということについては、別会社を作ってそこに物件をサブリースしたらいいよという話がずっと一貫して流れてるように、証言聞いているとあるんですが、そういうことでよろしいですか。

そういう話はもう一貫して、そういう別会社を作るという話はありましたね。」

 と証言している。(I・23回77丁)

(4)ところがO、Sらは、安田弁護士の前記構想・アドバイスに反対し、それをつぶす為の行動を取った。

      ア.Iは

          「(分社化し、賃借ないし管理する構想について)猛反発を食らったというのはだれからということですか。

                私がこういうのを話すのはOとSですけれども、特にOですけれども、そんなことやって会社が継続できるはずがないと、あなたは分かってないというような話で、何しろまるでがきのけんかみたいな話になりまして、これは話してもしょうがないと、そのうち機会があるだろうと思って私は、ああ、そうか、分かった、分かったといって話をそのまま収めたことが2、3度ありますかね、もっとあるかもしれませんね。」

        と証言している。(I・23回・37丁)

イ.O、Sらが反対していた理由についてIは、「新会社に移籍するについては退職金を支払え、その退職金額は3億円余である。それが支払われない限り応じられない。新会社に移籍した場合、社会保険に加入出来ない。それ故移籍しない」と証言している。(I13回18丁、16回51丁)

         しかし、Oらのこの反対理由は、真意ではなく、安田弁護士の前記構想・アドバイスをつぶす為につけられた方便なのである。

2 本件においてOの取った行動 −その1−

      スンーズ社の財産の不法領得

(1)2億1037万円余の業務上横領・背任

   Oは、S社長の指示、了解がなく、かつ元帳等に現れない銀行口座(以下公表外の口座という)を、東京都民銀行本店にスンーズ社名義のものを一口座、ワイドトレジャー社名義で二口座、第一勧業信用組合目黒支店に三口座を開設し、運用していた。

 平成4年6月2日から、それを行った。Oらは、平成9年1月8日、預金を解約し、約2億1037万円の現金を社外に持ち出し、H名義で契約した寺田倉庫で保管した。

 平成10年3月31日に、退社する直前の、3月20日頃、その金をOらは分配した。O4000万円、S4900万円、H3000万円、IM2000万円であった。

 その後、Oは、S社長より平成10年3月31日全員がスンーズ社を退職するに当たり、各人の退職金の算定を指示された。それに従い、Oが計算した退職金は、O14,054,200円、S20,806,140円、H10,382,000円、IM7,387,300円である。

 このように、会社との間で合意した金額以上の金額、又本来債務超過、支払不能企業において支払が不可能なような金を退職に当たって領得する目的のもとに、前記の如き違法・不当な財産隠匿・領得行為を行ったのである。

 Oはこの点について、多々弁解をしているが、Oら4人と他の従業員と退職に当たって受領する金額が異なる(計算式が異なっている)こと、Oら4人の中でも受領する金額が異なる(計算式が異なっている)ことからして、何ら合理性を有さない単なる言い訳でしかない。

(2)架空の水道光熱費の支払いによる業務上横領・背任

   @ 水道光熱費の架空計上に気がついたのは第7回公判直前である。

         そのきっかけは、支払額の二つの特徴である。

         一つは、平成4年8月31日に電気料1,297,644円、10月30日に電気料600,896円、水道料696,748円、合計1,297,644円、11月30日に水道料452,224円、電気料845,420円、合計1,297,644円と月末に同じ金額が続いて支出されていたことである。人為的に数字を作らない限り、3ヶ月間、月末に、水道光熱費が合致することはあり得ないと思われた。

         もう一つは、平成8年5月23日電気料1,253,211円、水道料1,746,789円合計300万円、同年5月28日水道料993,100円、電気料1,032,873円、電気料返金25,973円差引合計200万円と、合算額がこのような切りの良い数字となったことである。このような数字になることは不自然であり、人為的に金を先に出し、二つの名目に割り振っていることが考えられた。

         Oの非常に巧妙な、架空計上である。

      A そこで、第6回・7回公判と、Oに対しその点について反対尋問をした(7回・57丁以下)。

         Oは、反対尋問の中で、水道光熱費を前記の如き方法で架空計上したことを認めざるを得なかった。

B 平成4年1月から平成9年12月迄の総勘定元帳で計上されている水道光熱費は、395,796,435円である。

         その内の20パーセントが架空計上されているとしても、約8000万円が使途不明金となる。Oが業務上横領したとしか考えられない。

(3)仮払金、未払費用の名目で架空支出して隠匿した23,397,763円の業務上横領・背任

      @ Oは、金融機関に対する返済金を仮払金、未払費用として経理処理していた。その帳簿処理は整然となされていた。何ら不自然・不審な点は存在しない。

         ところが公判で明らかとされた、金融機関からの弁済受領関係の資料とつき合わせると、不自然・不審な点が浮き彫りとなった。

         弁済したとなっているが、金融機関は受領していない。仮払金で計上していながら未払費用でも計上しているが、金融機関はそのどちらか一つしか受領していないという操作がなされていた。その金融機関は、日興キャピタル、三和ビジネスクレジット、日住金であり、その額の合計が23,397,763円である。

      A Oは、この操作、会社財産の隠匿についてはなかなか認めなかった。この点の追及は、6回公判調書の59丁以下である。

         その追及に対し、その隠匿の事実をOは認めようとせず、それに関する質問は88丁まで続いている。

         最後に、前記の如きパターンで、簿外に出した金が、2億1000万円の他に1200万円、1300万円あることを認め、その後1600万円とし、最後に1700万円としている(6回・88丁)。

         この金は、前記1億1037万円と異なり、他の3人が知らないOのみが密かに隠匿していた金なのである。それは、簿外に出された金であり、O以外の第三者はその額を知りようがないものである。Oは、現在、その金は1700万円であると強弁しているが、全く信用性は存しない。当初は1200万円、1300万円と言い、その後1600万円と言い、その後1700万円と言っているのは、その額がもっと多いことを現している。

         Oは、1700万円の根拠を明らかにしていない。

         Oは、それらの金額を書き留めていたノートを所持していたが、破棄してしまったと証言している。理由は、早く忘れたいからという他者を納得させるものではない。証拠隠滅行為である。

3 本件においてOの取った行動 −その2−

    スンーズ社の財産の不法領得の為の方策。

    Oはスンーズ社の財産を不法領得する為に種々の方策を取った。それは分社サブリース、新会社への社員の移籍をつぶすことであった。

(1)非公開口座の開設

       平成4年6月2日に東京都民銀行本店にスンーズ社名義の口座を開設したのを皮切りに、ワイドトレジャー社名義の口座を一勧信組に3口座、都民本店に2口座作った。

      その口座に入金するのはOであり、元帳、補助元帳に記載するのもOであるが、口座名を記載せず、その金が預金として存在していることは、安田弁護士、S社長を含む第三者には分からないように操作していた。

      それらの金は、平成8年1月16日に開設された一勧信組のワイドトレジャー社名義の口座に集められ、それが平成9年1月8日に解約され、約2億1037万円が現金化され、Oらの不法領得となっている。

      Oはスンーズ社債権者からの差押を逃れる為、又、S社長の目から現金を隠す為に、分社として設立されたワイドトレジャー社を利用したのである。

(2)分社をしなかった

   Oは安田弁護士が提案した通りの新会社を設立し、分社し、そことスンーズ社との間でサブリース契約を締結し、エンドユーザーからの賃料の内60パーセントを賃料にしてスンーズ社に支払い、残り40パーセントを新会社の利益として残し、移籍してきた従業員の給料や、管理費に充てるという計画を実行しなかった。

   それは不法領得金の隠匿にとって障害となるからである。

ア.Oは隠匿の手法の一つとして、金融機関への返済(仮払金、未払費用の勘定科目)名下に行った。

         分社した会社には借入金は存在しない。仮に発生するにしてもそれ程額は多くない。とすると新会社に残った40パーセントの売り上げからこの手法での隠匿は困難となる。

         スンーズ社においては、その手法を使うことは可能である。しかし、スンーズ社の収入は60パーセントとなって絶対的な収入額が減ってしまう。その中で、前記の如き名目で架空の返済をしたり、勘定科目を替えて二重に返済をすると目立ってしまう可能性が高い。

イ.水道、光熱費名目での架空支払いによる隠匿も同様に困難となる。

     安田弁護士の構想は、所有と占有の分離である。従って、スンーズ社は家賃の60パーセント相当額で新会社に賃貸するだけであるから、家賃の40パーセントと管理費はエンドユーザーに対する貸主のサブリース会社である新会社が取得することとなる。売り上げが少ない中から正規の水道光熱費を超えて、その支払いを行った場合、その支払いは非常に目立ってしまうこととなる。実際のスンーズ社の水道光熱費を見た場合、支出額が少ないのは平成7年の3916万円、多いのが平成8年の9033万円と、その差は激しく、総売上額が多い場合に比して、総売上額が少ない分社構想の新会社においてはより不自然さが目立ってしまうこととなる。

ウ.Oは、平成4年6月以降、スンーズ社の売上の中から一定額の金額を保留・隠匿し、徐々に隠匿金を積み増した。売り上げは、スンーズ社所有の不動産の賃料・管理費と目黒ステーションホテルの売り上げであった。それらをOら4人は、非公開口座の中へ振り込みや、直接入金で積んでいったのである。

         一方、経理処理においては、積立都民bP、bQ、積立ワイドbR、預け金等の勘定科目で処理していたのである。そのような操作をする上で、安田弁護士が構想・助言した分社・サブリースは受け入れられないものである。

         スンーズ社の売上と新会社の売上が発生する。その中の一方から約2億1037万円を抜くことは目立ち過ぎる。とすると、二社ないし三社(スンーズ社、エービーシー社、ワイドトレジャー社)に分けて抜くことは、その操作は繁雑を極める。

         又、それに併せて経理処理をしなければならない。隠匿勘定科目として、前記の如き科目を設定したが、三社にそれぞれ隠匿科目を作らなければならないが、三社同じ科目で良いのか、違えたら良いのか、これも繁雑を極める。その上、帳簿処理は分社によって膨大な量となる。

         以上のように、Oの約2億1037万円の隠匿においては、分社サブリース構想は不必要で、逆に目的達成に障害となるものであった。

エ.以上の理由から、OはSと打合せの上、スンーズ社とエービーシー社、スンーズ社とワイドトレジャー社のサブリース契約は成立させたものの、エービーシー社、ワイドトレジャー社の口座に入金になった金の内、一部は自ら開設した非公開の口座に入れ、その余の売上は、スンーズ社の為の経費として使い、エービーシー社、ワイドトレジャー社の会計帳簿を独立させなかったのである。

      オ.税務申告の手法

         税務申告は、エービーシー社においては、サブリースによる売上は一切計上せず、ワイドトレジャー社は売上は計上するが、エンドユーザーからの売上を100パーセント計上し、賃貸人のスンーズ社に100パーセント賃料を支払い、利益を零と計上した。これはOが計画したことである。Oは後に述べるが、不法領得金を隠匿している過程で一番恐れていたのは、債権者からの差押、税務署からの差押である。

         エービーシー社、ワイドトレジャー社がサブリース業務を行うことにより目立ち、税務署から注目されることを極力避けたかったのである。調査が入ることにより、ワイドトレジャー社名義で積んである非公開の口座の金が発見され、実質スンーズ社の資産との認定の下に差し押さえられることを避けたかったのである。

  その為、それ程親しくない城税理士が担当しているエービーシー社については、サブリースによる入金を一切報告せず、それを除いた決算申告をしてもらい、親しく相談が出来るS税理士が担当しているワイドトレジャー社においては100パーセント売上を計上し、100パーセント賃料として経費を計上し、利益がないようにし、それぞれサブリースとの関係を切り離し、税務署に注目されないような方策を取ったのである。

4 本件におけるOの悪性

(1)Oが平成9年1月8日に、一勧信組のワイドトレジャー社名義の口座から2億1037万円を解約して現金化した理由。

      ア.平成8年6月26日に特別措置法が制定された。

         平成8年7月26日に住管機構が設立された。

         特別措置法によると、政府は、大蔵省、法務省、金融監督庁、警察庁その他関係行政庁の職員をもって構成する連絡協議会を設け、機構が業務を円滑に行うために必要な支援を行うものとすると定め、個々的にも現況確認、質問、帳簿提示等の権限を定めるなど、強大・広大な権限を機構−住管に与えている。

   イ.住管機構は平成8年12月2日から「一斉回収」を開始し、延滞債務者への督促状1万8000通の送付を行った。

      ウ.このような動きに対しOらは危機感を持ち、ワイドトレジャー社という他人名義を使って一勧信組に預金を隠匿していたとしても、その金の流れを追われればスンーズ社の金が流れて来ていることが判明し、隠し預金が差押さえられることとなると判断した。

         そこで現金化して、自らの支配下に置いたのである。

(2)現金の保管の仕方についてのOの虚偽証言

       Oは、法廷での証言で、2億1037万円の保管は、目黒ステーションホテルにおいて行っていたと証言していた。ところが、13回期日において、その金は寺田倉庫に保管していたと証言を変更した。この意味は大きい。S社長の了解を得ることなく、非公開の口座を開設し、そこに預金をすること自体業務上横領行為である。

  ところが、それを現金化してスンーズ社と全く関係ない寺田倉庫(Oの指示の下、Hの個人契約の倉庫)に金を移すことは、どのような観点・視点から見ても業務上横領行為である。Oは、その点十分認識していたが故にあえて虚偽証言をして来たのである。悪質である。

(3)Oが平成10年3月20日頃、4人でその金を分配した理由

   ア.Oらは、安田弁護士の分社サブリース、新会社への従業員の移籍の構想に基づくアドバイスに対し、退職金の支払(基本給の4.5倍)を要求し、反対をしていた。

          ところが、平成10年に入ってからOらは、その要求を撤回し、基本給の1.5倍なら支払えるというS社長の案に同意し、急拠退職することとなった。

   イ.預金保険機構、住管機構の告発に伴う警視庁の捜査の内、スンーズ社の取引金融機関に対する捜査は、平成9年12月初旬頃から平成10年1月に及んでいる。

         第一勧銀目黒支店へのワイドトレジャー社の3803090−011及び055の口座への入出金についての照会は、平成9年12月15日に行われている(甲135、127号証)。

  都民銀行本店、第一勧業銀行白金支店へのワイドトレジャー社、エービーシー社への口座への入出金についての照会も、ほぼ同じ頃なされ、それの回答がそれぞれ平成9年12月2日、平成10年1月9日になされている。 このような情報は、銀行員よりOの方に知らされることとなった。

         Oは、警察が2億1037万円の行方を把握し、それが追及された時、寺田倉庫にある現金が住管、債権者金融機関、税務署から差押さえられることを危惧した。

   Oらはすでにこの時点においては、多額の現金を入手していたのであるから、退職することも可能となっていた。そこで退職金名目で4人で分配の上、スンーズ社に対する捜査の手から逃れる為に、退職を申し出た。急遽以前からS社長が条件として提示していた退職金は基本給の1.5との案を急遽受け入れたのはこのような理由による。自分達が隠匿金の分配で得ている金が存することをあえて隠しそのような申し入れをし、退職する旨の申し出をし、3月31日に何も知らないS社長から退職金として、それぞれ正規の退職金を取得したのである。

ウ.このように、Oらが隠匿金を分配したのも退職をしたのも、捜査の手から自分達だけが逃れる為に取った方策なのである。

5 本件において検察官がOに演じさせた役割

(1)Oは、スンーズ社における経理責任者としての経理を行うに当たっての姿勢及びS社長の経理の姿勢について次の如く証言している。

「スンーズに入る直前の約1年間くらいを設計事務所で経理の仕事をしていた。・・・そこでの経理は、きちっとした経理であった。複式簿記を使って、収支もきちっと、すべてがきちっとした経理でした。・・・スンーズの経理は、きちっとした経理ではなかった。普通の手順に従って出来上がって処理をした経理を後から命令が来て処理を変えさせられる。元帳も全部書き直した。・・・私は、もうこんな道理に合わないこと、もうやりたくない、もうやめたい、ずっと18年間やめたい、やめたいで通って来ました。私は本に書いてあるような、きちっとした経理をずっとしたかった。・・・賃料振込先の変更にかかわる経理は、道理に合わない経理である。賃料の差押を免れるための手段だと思った。・・・エービーシーの通帳に入るものをスンーズエンタープライズの口座の中に入れるということは、例えにしますと、他人の財布からお金を取って入れるということだと思います。そんなことあってはならないと思っていました。」(O・4回・1〜4丁)

      検察官は、主尋問において、このような趣旨の証言をOに延々とさせた。 (2)ところが反対尋問において、次の如き事実が明らかとなった。

       Oは次の如く証言している。

       「社長が逮捕された翌日、10月20日に警察に呼び出された。・・・その時、2億1000万円(2億1037万円)の通帳のコピーを見せられた。社長も逮捕されているし、これは社長の知らないお金だということを全部お話ししました。今言った経緯(社長の知らないお金を貯めて、退職時にOら4人で分けている)をお話ししました。・・・それに対して取調の警察官は、いいことではないね、時と場合によっては犯罪になるよと言った。」(O・6回・31丁〜)

       本件の強制執行妨害事件の捜査の端緒は、Oらが現金で引き出し、隠匿した2億1037万円なのである。その金をS社長が、強制執行妨害行為の結果、隠匿したということから捜査が始まったのである。Oは、捜査の過程で、前述した如く前記横領事実を捜査官に自白している。捜査官はその事実を知ることにより、金の捻出の仕方、金の隠し方、そのための経理操作について捜査し、認識したのである(甲127号証で2億1037万円の使途先裏付捜査報告書が作成されている)。

       Oの経理操作の最たるものとして、「横領事実を隠蔽するための帳簿の操作、虚構決算報告書の作成」がある。

   ア.決算報告書(甲122乃至125号証)の記載の虚構

         決算報告書2枚目の預け金は、

          平成5年度 38,977,008円(甲122号証)

          平成6年度 31,972,945円(甲123号証)

          平成7年度 20,918,430円(甲124号証)

          平成8年度 11,980,098円(甲125号証)

        と記載されている。

   イ.しかし、それを作成する基の総勘定元帳において、預け金に相応するものは、

         平成5年度 89,581,718円

                   (甲137号証、コード番号128001、積立都民bP、52,581,718円  同128002、積立都民bQ、2,000,000円 同128004、積立ワイドbR、35,000,000円)

          平成6年度 123,798,091円

                    (甲138号証、コード番号175、預け金)

     平成7年度 196,336,270円

                    (甲139号証、コード番号175、預け金)

     平成8年度 231,034,108円

                    (甲140号証、コード番号175、196,852,053円 同174001、34,182,055円)

        であり、その額は、前者の方が過少である。

      ウ.Oはそれにつき、

    @ 税務署に提出する決算報告書には、ロと同じ額を預け金として記載している。

        A S社長に見せる決算書だけ、預け金の額を減額し、同額未払費用も減額し作成し、S社長に見せ、その目を欺いた。(S社長に隠匿現金を発見させないためにあえてそのような虚構行為を行った旨述べている)

        B S税理士も、その事実を了解している。

        と驚くべき事実を証言した。

エ.Oの経理処理は、S社長すなわち他人が見ても分からないように経理処理することが至上のことであった。

  Oは、証言の中で、そのことを認め、弁護人の「結局、あなたの方としては、こういう名称を使うことによって公表外の口座にお金が積まれているということを分からないようにしたということなんでしょう」との質問に対し、「社長に分からないようにしたということです」と答えている(第7回・26丁)。

         また、「預け金」について、どうしてこのような勘定科目にしたのかとの弁護人の質問に対し「この場合は、社長に見つからないために、こういう風にしたので」と答えている(第7回・31丁)。

(3)検察官を含む捜査官は、先程指摘し、ここで指摘したOの経理操作については十分認識していたものである。

(4)とするならば、検察官が主尋問においてOに証言させた内容は何だったのであろうか。

       検察官は、Oが経理操作をし、S社長にも隠し、あえて虚偽の決算書を見せて欺き、2億1037万円及びその余の金を業務上横領していることを十分知りながら、あえてOは経理を本に書いてある通りの適式な経理処理をする能力を有し、そのようにやりたかったのにS社長の命令で違法な処理をやらされ、あまつさえ安田弁護士により、他人の財布からお金を取っていれるような経理処理まで強要されたと言わせているのである。

      この落差は何であろうか。

       検察官の悪意である。S社長、安田弁護士に対し強制執行妨害行為を行っていたということをあえて印象づける為に、Oに虚偽の事実をそれを知りながらあえて証言させたのである。

(5)このような検察官の悪意は、公判立会検事独自のものではない。捜査検事においても、その姿勢は一貫している。本件の特徴である。本件審理において十分考慮されるべきである。

 

第5 I尋問の結果判明した事実

 1 I証人の地位

Iは本件公訴事実における検察側の最重要証人である。

Iが本件公訴事実において検察側の最重要証人という理由はいくつか存在する。

  @ まず、Iはスンーズ社の常務取締役として債権者と交渉した者であり、スンーズ社と債権者との関係を具体的に証言できる。

  A Iはエービーシー社の実質的な業務の担当者であり、エービーシー社の内容を最もよく知っている 。

  B Iは安田弁護士の事務所で行われたスンーズ社の会議に出席し、安田弁護士とスンーズ社との共謀関係について証言できる。

  C Iは業務日誌(甲174乃至178)再建関係と書かれた大学ノート(甲179)手帳(甲169乃至173)等を作成した者であり、客観的な資料である文書の内容を説明することができる者である。

 したがってI証人は本件公訴事実の立証中最重要証人というべき者であった。

2 I証言の主尋問の内容

 (1)I証人の主尋問は異様な方法で行われた。すなわちI証人は検察側の最重要証人であり、検察官が安田弁護士を起訴するについての最良の証拠であったはずである。従って一般的に言えば、当公判における検察官のI証人に対する主尋問は検察官が証拠申請したI証人の検面調書に基づきなされるはずである。しかしながら、検察官はI証人の検面調書に基づき証人尋問を行わなかった。検察官はI証人の検面調書の内容をはるかに後退させ、検面調書の内容によりI証人に証言させることを自ら放棄したのである。更に検察官はI証人に甲83号記乃至甲88号記の調書の作成過程、読み聴けの有無、署名の真正などの証言を求めず、自ら検面調書の作成過程に問題があったこと、検面調書の内容に誤りがあったことを実質的に認めてしまったのである。この事実は本件公判の本質を端的に示していることに他ならない。

 (2)I証人の主尋問においてI証人は、自分自身の生の記憶は極めて限定的なものであり、資料に基づかなければ、正確な証言はできないと繰り返し証言している。I証人はスンーズ社の経営状態、債権者との関係、スンーズ再建に向けての各種の試み、その為の債権者との交渉、会議内での話し合いの内容などについて過去に大きく遡ることになり、自分自身も部分的にしか関与していないため、全体像を理解しておらず、上記の内容については極めて複雑なので生の記憶は極めて限定的なものである。しかしながら、I証人は多くの記録を残しており、これらの記録の内容は何らかの事実を記録したものであるから記録に記載してある事実が存在したことは証言できると供述しているのである。従って、検察官はI証人の作成した業務日誌、再建関係ノート、手帳等に基づき、I証人から証言を引き出しているのである。従って、I証人が各事業について明確な記憶が存在することを前提としたI証人の検面調書はそもそも検察官の作文であり、何の信用性もなかったのである。

 (3)更に最も重要なのはI証人の「賃料振替」という造語による差押え妨害対策についての安田事務所での会議の内容である。I証人は主尋問で安田事務所において「賃料振替」の件が話題になったことがあると証言している。そして、その「賃料振替」は債権者の差押回避を目的としたものだという印象があると証言している。しかしながら、I証人は同時に「賃料振替」について安田弁護士の説明を以下のとおり証言している。

  @ 安田弁護士はI、S社長、SIの前で「賃料振替」の説明をして、これは金融機関、債務者である不動産物件の所有者、テナントの三者がおり、金融機関が債務者のテナントに対する賃料債権を差し押えることができるが、この三者の関係に賃料債権者と賃料債務者の間に一人かませることにより、この三者の関係を壊し、賃料の差し押さえがきかなくなることということを説明した。

  A 安田弁護士はその際、「賃料振替」により差し押さえを免れることができても、債権者が調べ直してもう一度差し押さえをかけることができる。期間としては早ければ1,2ヶ月で差し押さえができると説明した。

  B S社長はこれを聞いて、考え込んでいた。

といったものである。

 しかし、すでに述べたとおり、I証人が作成した業務日誌や再建ノート、手帳には一切「賃料振替」という用語は記載されていない。弁護人は、「賃料振替」という用語が捜査機関の造語であると確信している。

I証人の主尋問で証言した上記の安田弁護士の具体的説明は賃料隠しの共謀などというものではない。これは法律上の手段とその効果についての法律相談であり、強制執行の妨害についての共謀とは異なる事項である。とりわけ安田弁護士は、賃料振替について勤勉な債権者の場合には1,2ヶ月の効果しかないと説明しているのであり、賃料振替について否定的な立場に立っていることはその経緯から見ても明らかである。スンーズ社は、一時は、2,400億円程の資産を有していた企業であり、このような企業の再建の為の方法を模索していたのであるから、1,2ヶ月の効果しかないような手段を安田弁護士が勧めるなどということはそもそもありえないのである。

   いずれにせよ、I証人の証言は検察官の冒頭陳述に相当するものであり、検察官の立証は既にこの点で崩壊していたというべきである。

3 I証言におけるエービーシーの実態

 (1)検察官は、エービーシー社について、公訴事実において「実体のない」会社、すなわち中身のない会社と指摘し、冒頭陳述書においても「平成5年1月27日にはSが取締役を辞退し、その代わりに長男、SNが取締役に就任したこと、商号を(有)エービーシーエンタープライズに変更したことなどの登記がなされたが、右変更登記後も事業活動を行っていなかった」などと主張した。

 (2)I証人は、スンーズ社では平成4年の段階から新事業の受皿会社として構想を練り、平成4年12月か、平成5年1月頃、その構想の実現の為に活発に活動し、急速に事業を立ち上げていった様子を生々しく証言している。

    すなわち、

  @ 平成5年1月5日、S社長はエービーシーエンタープライズという会社名を明らかにし、主として中国に進出する日本企業のコンサルテーション事業を中心とする新しい事業を開始した。

  A 平成5年1月から平成5年2月にかけてエービーシー社は新事務所の内装、備品等を整備した。

  B 平成5年1月から平成5年2月にかけてスタッフを雇用し、人員を整えた。

  C 平成5年3月、S社長らは視察団を組み、中国の寧波市を訪問して同市との交流を深めた。

  D 平成5年1月21日、エービーシーの商号変更の話が出て、1月27日に商号変更の登記をした。

  E 平成5年5月に、エービーシー社をスンーズグループの一員として発足させ、貿易の仲介、企業進出の仲介、不動産の仲介の3つの分野について業務を行うという挨拶状を作成し、金融機関やスンーズ社の友人関係に送付した。更に各種の業務提携を模索した。

  F エービーシー社は、中国からの食品輸入、健康旅行、どくだみ茶の販売、小野田セメントの寧波工場の設立、HSST構想の売り込みなどの事業展開を行ってきた。

 (3)以上のように、I証人は、エービーシー社は事業を展開してきており、エービーシー社は実体のない会社ではないことを証言した。むしろI証人は平成5年1月から平成5年秋頃まではかなり活発にエービーシー社によって事業を展開するよう活動していたことを証言しているのである。この点において検察の構図は明確に否定されたことが明らかにされた。

 4 住商リースとの交渉

 (1)住商リースは、平成1年4月4日、金10億円を長期運転資金名目でスンーズ社に貸し付けた債権者である。住商リースは、麻布ガーデンハウスに第1番の抵当権を設定している。この麻布ガーデンハウスには住総が第2番の抵当権を設定している。住総は、住商リースに対する35億円の債権者である。この債権は住商リースが麻布ガーデンハウスを平成9年9月に金5億5100万円で任意売却することにより返済している。返済金額は住商リースに対しては4億9940万円、住総に対しては2750万円である。

    スンーズ社は、住商リースに対し、平成3年12月から金利支払いを停止し、平成4年5月から平成5年9月まで約30万円前後の利払いをし、平成5年10月から金130万円、平成5年11月から平成6年11月まで金230万円、平成6年12月から平成7年10月まで金150万円の金利支払いを続けていた。

 (2)I証人は、スンーズ社と住商リースとの関係について、概ね以下のとおり証言し、住商リースは比較的穏便な債権者であったことを供述した。

   @ 住商リースは、スンーズ社のメインバンクである三井信託が最終的にはスンーズ社の面倒を見ると考えており、かつ住商リース自体も三井信託から多額の借入があって、スンーズ社とはことを構えたくないという関係にあった。

   A 平成4年2月13日、住商リースからスンーズ社宛に内容証明で催告書が送付されてきたが、スンーズ社は特に対策をとらなかった。

   B I証人は、住商リースにエービーシー社の案内状を出しており、エービーシー社の事務所で住商リースの担当者と会っており、エービーシー副会長の名刺を交付している。I証人は、住商リースにエービーシー社の存在を隠匿しようとする意思は全く持っていない。

   C 本件担保物件は競売されると価値が減少し、住総まで配当されないことが予想されていた為、住商リースは平成5年2月住総に麻布ガーデンハウスを買い取らすことを計画し、これを自ら又はI証人を通して住総に打診した。更に、住商リースは担保割れした債権を上海プロジェクトから回収しようとし、競売申請など強行路線を選択しなかった。

   D 住商リースは、平成8年5月に麻布ガーデンハウス関係の賃借権の契約書のコピーを渡してくれと要求し、I証人はSIに話して賃貸借契約のコピーを交付した(最初は交付したのは平成5年だと証言していた)。この際スンーズ社とエービーシー社間の一括賃貸借契約書の写しも住商リースに交付したが、I証人は交付した時にはこれが何らかの違法性を有するなどと考えていなかった。

   E I証人は、スンーズ社とエービーシー社の経理をOが分離しないことは誤りだと考えており、安田弁護士にその経理を分離するようOに話してもらおうと考えた。そこで、安田弁護士はI証人から頼まれて、安田弁護士とOがその件で電話で話をしたことはある。

以上、住商リースは(有)スンーズエンタープライズとは穏便もしくは紳士的に交渉して債権回収を進めており、任意競売や賃料の差し押さえなどがなされる客観的状況ではなかった。

 (3)ところで、第21回公判でI証人は、突然、平成5年賃料を差し押さえられる懸念があったので、賃料の差押を回避する為賃料の振込先を変更した。この時は差し押さえが不発に終われば1、2ヶ月でまた正確な差押えができるから大したことではないと思っていたなどと証言した。I証人は弁護人が賃料の請求人の変更について質問をしていないのに自ら証言をその方向に誘導し、証言したのである。I証人は、この証言当時は、弁護人の質問に対して極めていらだっており、弁護人に対し何らかの抗議の意思を表明しようとして、あえてそのような証言を突然行ったのである。従って、I証言のこの部分についての信用性はない。

 5 日興キャピタルとの交渉

 検察官は、日興キャピタルも強硬な態度であり、賃料債権差押の構えを見せていたと主張している。しかし、日興キャピタルは、競売はもとより賃料債権の差押をする意向などまったく持っていなかったことは,日興キャピタルのスンーズ社担当であったN証人によって既に明らかとなっている。

日興キャピタルは,I証人の出身行である三井信託が反対をしていた真下ビルに対する投資に融資を行なった不動産金融会社であるが,真下ビル購入後の裏地購入について融資を拒否し,その結果としてスンーズ社のメインバンクである三井信託がそのための追加融資を行っている。三井信託の追加融資は,スンーズ社が真下ビルの購入をしなければ必要がなかったものであった。I証人は,他の債権者はともかく,日興に対していて出身行である三井信託が反対していた不動産購入をスンーズ社にやらせ,三井信託に更なる負担を負わせた債権者であり,日興キャピタルに対しては厳しい態度で交渉にのぞんでいた。したがって,日興キャピタルにとってのI証人は,スンーズ社の財務担当者である以上にスンーズ社メインバンクであり,日興キャピタルと対立関係にある三井信託の利益代表であった。そのため,日興キャピタルはIとの交渉を回避し,S社長と直接交渉を行ない,平成3年12月の1000万円の弁済や,月額400万円の弁済を確約させた。これらはI証人の考えていた債権者対策とは全く異なるものであった。

このように,日興キャピタルはI証人とは鋭い対立関係にあったが,他方,S社長は,バブル崩壊後にスンーズ社に真下ビル購入資金を融資してくれた日興キャピタルに対して恩義を感じており,日興キャピタルはS社長とは友好的協力関係にあった。そして,S社長は,上述のとおり,スンーズ社の日興キャピタルに対する弁済を厚遇することになるが,日興キャピタルの賃料債権差押の主張は,上記厚遇についてのその他の債権者,とりわけ三井信託に対するエクスキューズに過ぎなかったのである。

I証人の日興キャピタルに関する証言は,上述の対立関係を理解して検討されなければならず,S社長との友好関係からしても,差押の現実的危険は全く認められないことが明らかとなっている。

 

第6 SI尋問の結果判明した事実

1 SIの位置づけ…退職金の横領と詐取

SIは、青年時代にS社長と知り合い、20数年間スンーズ社の物件管理担当者として勤務し、最終的に表向きは約2100万円の退職金を取得して退職した。ところが、実際には横領グループの一員として約4900万円の金員を取得していたことが、Oに対する尋問の過程で明らかとなった。この4900万円の原資である、第一勧信目黒支店に集められた約2億1000万円の形成過程について、SIはあくまで詳細は知らなかったと証言する。しかし、2億1000万円の備蓄は、SIによるテナントに対する賃料振込口座の指定なくしてあり得ないものであり、SIはOと並んで横領グループの要というべき存在だったのである。

ところで、弁護人の要求により漸く開示されたSIの平成10年11月1日付検面調書等には、退職金は「2100万円」でも「4900万円」でもない、「2700万円」と記載されていた。この齟齬について弁護人からの追及を受けたSIは、退職後、S社長に対し、4900万円の取得の事実を秘したまま、「もう少し何とかなりませんか」と退職金の上積みを要求し、600万円を受け取っていた事実を初めて明らかにした。これは明白な詐欺である。しかしSIは法廷で次のように開き直った。

「くれとは言いません。私は社長の心を試したのです。ですから別にもらわなくてもよかったんです。やっぱり二十何年間一緒にやってきまして、皆と一緒にごくろうさんでは、やっぱりそれじゃ私は気が収まらない、寂しいと思うのです。そういうことで社長の心を試すつもりで、そういう相談を一応、どっちでもいいと思いましたから一応言ったわけです。」(第42回公判調書20丁裏)

Oらと共同しての横領行為とは別個の、この600万円の詐取には、SI自身の冷淡な悪質性、背信性を見て取ることができる。そしてこのようなSIの基本的姿勢を把握することが、SI証言の信用性を正しく評価する前提として極めて重要となる。

 

2 2つのワイドトレジャー 

第44回公判における弁護人の尋問の中で、安田弁護士の分社サブリース構想の柱ともいうべき、スンーズ社の主要3物件(白金台サンプラザ・目黒ステーションホテル・目黒ハイツ)の重点化構想が明らかとなったが、その一つが、目黒ハイツを改装の上賃貸物件化して、別会社により運営していくという事業構想であった。

すなわち、平成4年11月25日の物件視察を経て、安田弁護士は、目黒ハイツの可能性に注目、これをスンーズ社グループの別会社によって全面的に改装し、権利関係の複雑な保証マンション方式を廃し、別会社により賃貸して収益力を高める分社サブリース構想を打ち立てた。そして、この目黒ハイツ問題をスンーズ社の中で担当していたのが、SIであった。

ところで、検察官の冒頭陳述によれば、目黒ハイツの601号室がワイドトレジャー社の本店所在地とされているが、一方、S税理士作成の税務書類(消費税課税事業者届出書)には、301号室がワイドトレジャー社の所在地と記載され、都税事務所からの督促状も301号室に届いている(甲156・写し作成捜査報告書(三))。客観的な記録(甲54・商業登記簿登記申請書類接写報告書)によれば、SNは平成5年3月5日には登記申請用の印鑑登録証明書を入手しており、ワイドトレジャー社の設立手続に着手していることが明らかであるが、当時、目黒ハイツの301号室は空室であり、一方、601号室には吉田秀臣という不法占拠者が居住していた。SN自身は目黒ハイツの管理には携わっておらず、目黒ハイツの居住関係を把握していたのはSIである。つまり、SNは、新たに設立するワイドトレジャー社の本店を定めるにあたって、SIから目黒ハイツ301号室が空室であることを知らされ、ここを本店と定めたのである。ちょうどこの頃、目黒ハイツの居住者が加入する品川借地借家人組合との交渉が続く中、スンーズ社側は目黒ハイツの分社サブリース構想実現を目指していたことに鑑みれば、目黒ハイツ301号室を本店とするワイドトレジャー社が、まさに目黒ハイツ分社サブリース構想を担う新会社として設立されたことは、極めて自然に理解できる。

一方、平成5年11月5日、第一勧銀白金支店にワイドトレジャー社名義の口座が開設された時の印鑑票には、「プレジデントメグロハイツ601」がワイドトレジャー社の住所として記載されていた(甲131)。たしかに当時、目黒ハイツの601号室は、吉田秀臣が退去し空室となっていた。しかし、吉田の退去は同年4月以降であり、この事実は当然、SNには知りえない。そもそも、SNが口座を開設したのであれば、印鑑票には目黒ハイツ301号室がワイドトレジャー社の住所として記載されるはずである。つまり、一勧白金支店の口座開設を行ったのは、SNではあり得ないのである。

目黒ハイツの601号室が空室であることを把握していたのは、他ならぬSIである。SIこそが、SNの知らない目黒ハイツ601号室を「もうひとつのワイドトレジャー」とし、これを白金台サンプラザの賃料を受け入れる「窓口」とし、各テナントに「賃貸人変更のお知らせ」を発送した。これが、平成5年11月以降行われる「ワイドトレジャー」への賃貸人変更の実態なのである。

ワイドトレジャー社への賃貸人変更は、決して賃料差押を免れるための操作などではない。S社長もSNも知らない、SIら横領グループが作り出した「もうひとつのワイドトレジャー」による、壮大なスケールの賃料着服行為なのである。

 

3 SIによる物件売却手続きの怠慢

SIが横領行為に積極的に関わっていたことは、その他の客観的証拠によっても裏付けられる。

平成4年以降、スンーズ社は、債権者である一部の金融機関から、物件の売却を求められるようになっていた。しかし、物件が売却されれば、退職金資金の備蓄のための原資である賃料収入が減少してしまう。そこでSIは、スンーズ社所有物件の売却を阻止する行動をとった。

その代表的な例が、日住金が抵当権を設定していたサンヒル新町(桜新町)である。平成4年8月17日のI業務日誌には、次のような記載がある。

日住金 桜新町,ノムラビル,代物弁済申入れあり。8/26常務会決議の由,国土法申請予定

同様に、日住金がスンーズ社に対し、サンヒル新町の売却を求めていたことが客観的に明らかであるが、これに対するSIのリアクションが、Iの再建ノート上、次のように記載されている。

平成6年3月28日

国土法出すこと。「出したじゃないかと言われる」

平成6年3月30日

SI氏の準ビ進んでない。上から迫られている。(差押え)(N)

つまり、売却に備えて国土法に基づく売買価格の届出をするようにとSIにいうIに対し、SIが「既に出したじゃないか」と反論しているのである。ところが実際には、スンーズ社が国土法に基づく届出をしたのは平成6年5月31日であり、SIはIに虚偽を述べていたことがわかる。

同様に、麻布ガーデンハウスについても、第順位の抵当権者である住商リースが売却を希望していたのに対し、SIは「(売却時期を)のばすべし」(平成7年12月18日I業務日誌)との意見を述べ、また、住商リースの平成8年1月19日付商談記録にも「他の社員(この物件の担当者はI氏ではない)が積極的に動こうとしなくて困っている」と記載されているように、終始売却に消極的な態度を示していたのである。

SI自身は弁護人からの尋問に対して、「物件売却に消極的であった事実はない」と否定し続けたが、これらの記録から、客観的にSIが売却を引き延ばしたことには争いの余地がない。

SIらは、基本給の4.5倍×勤続年数分の退職金が貯まるまで、スンーズ社の賃料収入を確保せねばならず、そのためになんとしても物件を保有し続ける必要があった。しかし、いかに物件売却を阻止ないし妨害しようとしても、O・IM・Hには不可能なことである。それが可能であったのは、物件担当のSIのみであり、現実にSIはその「重責」を果たしたのである。

 

4 東京三菱銀行への賃料振込

エービーシー社及びワイドトレジャー社名義の賃料振込口座から、スンーズ社名義の口座への「戻し」が行われた後である平成8(1996)年10月以降、一部のテナントからの賃料が、スンーズ社の東京三菱銀行六本木支店の口座に変更された。SIは、この変更が誰の指示でもない、SI自身の判断によるものであることを認めたうえで、スンーズ社の社名が平成7年9月に「スンーズエンタープライズ」から「スンーズコーポレーション東京リミテッド」に変わり、そのことを金融機関に明らかにするようになったのがちょうどこの頃だった。そこでテナントに対しても、新しい「東京リミテッド」名義の銀行口座への振込みを依頼した」と証言した。しかし、このSIの説明は破綻している。現実に、新社名である「東京リミテッド」への変更に伴い振込口座も変えるのであれば、全物件全テナントに対して変更するはずなのに、SIはそれをしていない。そもそも、社名変更の効果を徹底させるには、従来からある第一勧銀麻布支店やとみん銀行本店の「エンタープライズ」名義の口座について、口座番号はそのままに、名義のみを「東京リミテッド」に変更する手続きをとり、その旨をテナントに通知すればよいだけなのである。しかし、SIはこの最も簡単な手続きをとることを考えすらしなかったと証言した。

つまり、平成8年9月に賃料振込口座がスンーズ社名義の口座に戻されたことにより、SIらがエービーシー社及びワイドトレジャー社名義口座から横領する道は断たれてしまった。そこで、SIは、唯一、平成7年の商号変更後に「スンーズコーポレーション東京リミテッド」名義で開設されていた東京三菱銀行六本木支店の口座に着目し、この口座への変更を依頼するテナントを自分の判断で選定したのである。それらのテナントは、以下のように類型化できる。

@賃料の大きいテナント(例:東京医薬品株式会社、マック(伸久ビル))

A賃料減額交渉などでSIが便宜を図ったテナント(例:渡邊衛(サンハイツ元麻布)、ヴィスカイヤー(白金台サンプラザ))

B以前に従来のスンーズ社名義の口座(第一勧銀麻布など)に賃料を振り込んだ経験のない新しいテナント

C潟Tンホーム(スンーズ社が駐車場を含む一部の物件の客付け・賃料管理を任せていた)が管理を代行していた物件

賃料の大きいテナントを確保した理由は言うまでもないが、それ以外にもSIは、賃料減額交渉に際して、テナントに便宜を図るのと引き換えに、振込口座の変更を迫った。また、新しいテナントには、度重なる口座変更を煩雑と受け止められる心配もないので、最初から東京三菱を勧めた。さらに、サンホームが管理する物件については、SIがサンホームに指示して口座を変更させた。こうしてSIは、自分たちが管理できる口座を確保したのである。その何よりの証左として、現実に平成年度には、この東京三菱の口座から、Oも架空であると認める多額の「水道光熱費」名目の現金が、凄まじい勢いで出金されている。そして、この事実は同時に、横領グループによる備蓄が、一勧信組に集められた2億1000万円にとどまらないことをも示しているのである。

 

5 客観的事実と矛盾するSI証言

SI証言が、基本的にS社長及びスンーズ社に対する根深い悪意と背信性に裏打ちされたものであることは以上のとおりであるが、証言が悪意と背信性に大きく影響され歪められ、たとえ客観的証拠に照らし事実誤認が明白であっても、頑迷なまでに自説に固執するというのが、SI証言の大きな特徴である。その好例が、エービーシー社の現実の活動実態について具体的に指摘された後ですら、「エービーシーがダミー会社だという認識に今でも変わりはない」と言い切ったことといえる(第44回公判調書56丁)。

SIに対する主尋問は、検察官の冒頭陳述の流れに沿い、第1に、平成4年11月以降、スンーズ社に対する債権者の強硬な姿勢があったこと、そこで第2に、平成5年3月に優良物件であるサンハイツ元麻布及び麻布ガーデンハウスの賃料債権差押を免れるため賃貸人変更のお知らせを発した、というものであった。しかしこれが、債権者の強硬姿勢、そして優良物件という2つの大きな前提において、まったく事実を無視したものあることが明白となった。

 

(1)「債権者の強硬姿勢」論の嘘

主尋問においてSIは、I再建ノートの「国内対策第1回」が開かれた平成4年11月頃の時期は、スンーズ社の債権者である各金融機関が、債権回収のために強硬な姿勢をとっていたと証言したが、これがまったく根拠のないものであることが明らかとなった。

まず、Sは主尋問において、自分は金融機関との交渉はしていない旨述べていたが、弁護人から具体的に共同住宅ローン、日興キャピタル、野村ファイナンス、住商リースなどとの交渉に関する記録を示されると、SIも交渉の場に出て、対債権者対応をしていた事実を認めざるを得なくなった(第42回公判)。その上で、

a.三和ビジネスファイナンスについて、Iメモをもとに「平成4年11月18日の段階で半年ぐらい音さたがなかったという趣旨だと思うのですが、そういう状態だったという認識ですか」と問われると「ちょっと詳しいことは分からない」「答えられません」と逃げ、

b.住商リースからについて、やはりIメモに「これは仕方ない、がんばってくれ、動きなし」と記載があると紹介されると、「このころは余り私も意識してませんでしたので、いや、こんなもんかなと思っているのですが」と述べ、

c.同様に住総についても「これは仕方ない、動きなし」との記載を指摘されると、「このころの住総は私覚えてません」と答えている。

実際のスンーズ社はこの約半年前、平成4年5月から、小切手不渡り以降止めていた各債権者への利息の支払を再開しており、債権者との関係は極めて平穏であった。弁護人から記録に基づいて具体的に質問を重ね、

取り立てて厳しい支払を求めていたというような債権者はいなかったんじゃないですか。

と尋ねられたSIはついに、

これは平成4年11月。具体的にはそうかも分かりません。 

と認めざるを得なくなったのである(第42回公判)。

ところが、SIはこの失敗に懲りることなく、「翌年(平成5年)はじめには取立が厳しくなった」と証言し、主尋問での証言の筋を維持しようとしたが、この抵抗は裏目に出、さらにSI証言の信用性を低下させた。

そのように賃貸人変更のお知らせを出された物件の債権者の関係では、三和ビジネスクレジットが、平成5年の1月、2月にかけて1回程度、住商リースも1回程度、住総も3回程度というのが記録からうかがえるんですが、そういう状況の中で、SIさんがお知らせを出されたんだと、こう伺っていいんでしょうか。それを頻繁に来たというふうに、SIさんは判断しておられたということになるんでしょうか。

それと、やはり話の中身の、ただ来るのと、やっぱり目的があって来るのと違いましたから、私にはすごく重要な用事で来たように思っていましたんで、印象が強かったんですね。…(中略)…回数はともかく、やはり資金回収の目的で来てましたんで、それで金融機関が積極的に来ているなと、そういう印象があったわけです。

「回数はともかく積極的に来ている」とごまかそうとしたことで、「回収のため債権者が頻繁にスンーズ社を訪問していた強硬姿勢」とのSI証言は完全に破綻した。そのうえ、SIは、この時期に唯一回収に熱心といえる債権者であり、平成5年1月・2月のスンーズ社来訪が現実にも最も多かった日興キャピタルについては、

いや、私には日興キャピタルについての印象というものは、非常に薄かったもんですから。

と述べ、SIが客観的状況をまったく認識していない事実を露呈した。

結局、SIの「強硬な債権者の取立に、差押えを免れるために賃貸人変更を行った」との主尋問証言は、当時のS社の置かれた状況とまったく異なることが明らかなのである。

 

(2)「優良物件」論の嘘

同様に「優良物件の賃料差押を免れようとした」とのSI証言の虚偽性も明らかとなった。すなわち,麻布ガーデンハウスの4件のテナントのうち、村田百代は前所有者時代から続く紛争が解決未了であり、エニウェイは、家賃の支払いが滞りがちなテナントであった。これらの点を指摘されたSIは、優良物件の根拠は立地条件であるなどとして説明を変え、「賃料債権の差押を回避するため」という議論の大前提を、自ら放棄してしまったのである。

 

(3)「賃貸人変更のお知らせ」サンプル交付の時期

SI証言のもう一つの特徴は、SI自身の取調べから法廷での証言までの間に約2年の歳月が流れていること、その間に弁護人が合計10数回にわたりSIの面接を重ね、SIの記憶について尋ねている点である。その結果、SIの供述は主要な点において、a.逮捕前の生の記憶→b.逮捕後、取調べによる生の記憶の「変容」(供述調書)→c.釈放後、生の記憶への回帰(弁護人との面接)→d.法廷証言(取調べ時の記憶への逆戻り)という特異な経過を辿っていることが明らかとなった。その象徴が「賃貸人変更のお知らせ」のサンプル(以下「サンプル」という)に関する供述である。

「平成5年2月19日に安田弁護士の事務所でサンプルを受け取った」というSI証言は、検察官立証の大きな柱である。しかし、既にI尋問の検討において明らかにしたとおり、再建ノート及び業務日誌の記載から、サンプル交付時期は平成4年11月18日であると合理的に特定できる。そしてこ、まさにこれと合致する記憶をSI自身が持ちつづけていたのである。

すなわち、SIは反対尋問によって、サンプル交付の時期についても、平成10年の逮捕当初は、物件視察の前だと思っていたが、その後の取調べで当初の記憶を撤回した事実を認めた(第42回)。ところが、これによって2月19日の共謀説が崩れるにいたると、翌第43回の公判期日において、SIは臆面もなく弁解を始めた。曰く、「物件視察は賃貸人変更のお知らせを発送した後だと勘違いしていたので、サンプル交付時期は物件視察の前だと思っていた。しかし実際には物件視察は11月で取調べの過程でわかったので、サンプル交付は2月だとわかった。ところが、釈放された後、もとの記憶に戻ってしまい、弁護人に対しては物件視察の前にサンプル交付を受けたと供述した。その後、証言の準備の過程で、再度記憶を修正した。」というのである。

しかし、SIのこの言い訳は、およそ通用しない。この虚偽性は録音テープを証拠採用すれば明らかである。そもそも、サンプルは、理の当然として「お知らせ」の発送前に交付されているものである。したがって、仮に物件視察を「お知らせ」発送の後の出来事と勘違いしていたとしても、サンプル交付が物件視察の前で、かつ、「お知らせ」発送の後ということはあり得ない。すると、SIの「勘違い」供述によれば、サンプル交付は「お知らせ」発送の前であり、かつ物件視察よりも前となる(下記<サンプル交付・「お知らせ」発送・物件視察の先後関係>の@参照)。ところが、このようなSIの「勘違い」の記憶によれば、サンプル交付と物視察は、「お知らせ」の発送により隔てられた出来事となり、物件視察は時期的により遠いものとなる。すなわち、サンプル交付の時期を記憶する基準時として「物件視察」が登場する余地はないのである。「勘違い」であるとのSIの弁解が虚偽のものであることは、弁護人の尋問に対し、その場で反論できず、翌日、しかも尋問者から尋ねられもしないのに言い訳していることからも明らかである。

 

<サンプル交付・「お知らせ」発送・物件視察の先後関係>

@公判でのSIの弁解:サンプル交付→「お知らせ」発送→物件視察

A弁護人に対する供述:サンプル交付→物件視察→(「お知らせ」発送)

BIメモによる事実:物件視察(H4.11)→「お知らせ」発送(H5.3)

 

「サンプル交付が物件視察の前」との供述は、サンプル交付が物件視察と時期的に近接しており、かつ、SI自身の具体的な体験事実に根ざしているからこそ、なされたものである。つまり、サンプルが交付された当日である平成4年11月18日の安田弁護士との打ち合わせにおいて、1週間後の11月25日に物件視察を行うことが決まったため、物件担当であるSIが「私が安田弁護士を案内しましょうか」と申し出た。ところが、S社長は「息子にやらせるからいい」とSIの申し出を断ったのである。そうであるからこそSIは、サンプル交付=物件視察の前の出来事と明確に記憶し、かつその記憶が、逮捕・勾留の後も生き続けていたのである。

 

6 検察官による調書の創作

このような客観的事実に反するSI証言は、浦田検察官作成のSI検面調書における虚偽をそのまま反映したものである。そして冒頭にも指摘したとおり、本件の捜査を担当した浦田検察官によって、SIの平成10年11月22日付検面調書(甲286・弁113)は、安田弁護士に不利になるよう、全面的に加工編集されたものであることが明らかとなった。しかも、その余の検面調書を精査することにより、さらに同様の加工編集、まさに検面調書の捏造が明らかとなったのである。

 

(1)113日付と1122日付検面調書

113日付調書(甲277・弁105、全108頁)は、SIの第1回目の逮捕・勾留で作成されたいちばん最後の検面調書であり、SIに対する反対尋問開始にあたって初めて開示されたものである。この調書は、検察官が当初から証拠請求していた1122日付検面調書と、一見したところ非常に良く似ているが、11月22日付調書のほうがさらに長く全147頁にも及んでおり、SI自身も記憶があると証言した。

ところがこのつの調書を丁寧に比較すると、両者は似て非なるものであると同時に、作成者の明確な意図のもとにつくられた完全な作文であることが判明した(別紙・SI(検察官浦田啓一作成)検面調書対照表(その1)参照)。すなわち、1122日付調書では、113日付調書に残っていた安田弁護士の無罪を示す記述がことごとく削除され、代わって、安田弁護士による「強制執行妨害」謀議の主導、その悪質さを示す記述が書き加えられるなど、SI自身の生の記憶としてあった安田弁護士の分社サブリース構想が、検察官による取調べのなかで、強引に、そして巧妙に「強制執行妨害罪」へと創り上げられていく過程が、実に明瞭に現れているのである。以下、主要な点のみ概観する。

@「分社サブリース構想」に関する記載の削除

  113日付調書には、安田弁護士の分社サブリース構想について述べられている内容が各所にある。

1 管理会社に全賃料の3〜4割を管理費として留保、管理会社は残る。将来は社員を移す(甲277・弁105の8頁)

2 安田弁護士の話では管理会社を作ればスンーズ社がつぶれても管理会社は生き残るという前提であった(同9頁)     

3 (管理会社に)多少の利益が残っても今度は税金の問題が生じ面倒である(同11頁)

4 安田弁護士は、将来的にはスンーズ社の社員を管理会社に移した方がよいということをはっきり口に出して言っていた(同12、13頁)

          SI自身、尋問において、検察官に対しこのような事実を述べた記憶があることを認めたのであるが、同時に、この安田弁護士による分社サブリース構想の記憶は、SIが逮捕された当時もしっかりとあり、取調べでもその記憶に基づいて事実を語っていたことをも認めた(第43回41丁裏)。そしてさらに、分社サブリース構想の実現を、SI自身が信じていたことも証言したのである。

そうしますと、安田さんからアイデアが出されたときはSIさん自身も、それでやっていけるのかなと、そういうふうに思っていたということですよね。

      はい。 (第4343丁表)

しかしSIは、その後、安田弁護士による構想の実現可能性について、疑問を抱くようになったという。それがいつであるのか、SIは尋問において明らかにしなかった。上記のように認識が後に変わった理由について、Sは取り調べにより変化したのではないと証言したが、113日付調書、そして1122日付調書の記載から、S自身の記憶・認識が、捜査機関とりわけ浦田検察官によって「ダメだ」と否定され、その結果、認識の変更を迫られたことが明らかとなった。

ところが、113日付調書に記載され、かつ、逮捕当時のSI自身の記憶にもあった「別会社での生き残り(別会社構想)」という、安田弁護士の分社サブリース構想に関する上記1〜4の記載が、いずれも1122日付調書では削除されているのである。

SI自身、主尋問に対しては「断片的に思い出した」などと言い訳しているものの、元来、これらの記載内容は、S自身の生の記憶に合致する記述である。したがって、その記載が1122日付調書で削られるには、なぜ、記憶が変わったのか、その理由が示されるべきあり、また、供述の変遷を合理的に説明するため捜査機関であれば当然にそのような理由付けを記載しておくはずのところ、そのような記載は一切ない。

これは、削除がSI供述それじたいの変容によるものではないことを示している。

A 分社サブリース構想と「賃貸人変更のお知らせ」の関連性 

SIが反対尋問の過程で「たしかに安田弁護士による別会社構想は存在した」旨証言すると、検察官は再主尋問において、SIに「賃貸人変更と安田弁護士の別会社構想は無関係である」と証言させた。

しかし、113日付調書においては、次のようにまさしく、別会社構想は賃貸人の変更と密接に結びつけて語られている。

「管理会社を作ればスンーズが潰れてもその管理会社だけは生き残れるという安田先生の話は、多額の負債を抱え各債権者から厳しい取立を受けているスンーズの現状からすれば、とても現実的な話には思えませんでしたし、管理会社だけは生き残れるという効果の点からしても、本当にそうなのかなという疑問が私にはどうしても拭えませんでした。」(45頁)

「このように、管理会社を作るという話はしばらくの間はうやむやに推移したというのが私の記憶なのですが、と記憶しています。その間も『経営会議』の席上では、安田先生から

  管理会社を作って、テナントからの賃料をそこに振り込むようにしなさい。

というアドバイスが繰り返しなされたと記憶しています。そして私は、繰り返しなされる安田先生のこのアドバイスを聞きながら

あまり現実的な話ではないし、どれだけの効果があるのかも疑問だな。

という思いが拭えなかったのですが、そのうちに安田先生自身も本気で実体のある管理会社を作れという趣旨で言っているのではなく

管理会社を噛ませるという外形を整えろ。

という趣旨で言っているのだなと気付いたのです。」(45〜47頁)

「また、安田先生は、

将来的にはスンーズの社員を移した方が良い。

ということを、これははっきりと口に出して言っていましたので、裏を返せば、これは

スンーズの社員を移すのは将来のことで良いので、とにかく先に会社を作ってしまいなさい。

という意味に他なりませんから、安田先生が本気で実体のある管理会社を作って、そこに賃貸管理業務を委託するということをアドバイスしているとは到底思えず、要は、

ダミー会社を作りなさい。

ということを「ダミー会社」という言葉を用いないで言っているのだなというように思えてきたのです。」(48〜49頁)

 

これらの記載から、少なくとも、安田弁護士は、「実体のない会社を間にはさんで賃料差押を回避しろ」という指示はしておらず、別会社による生き残りの話をしていたが、SIは、この安田弁護士のアドバイスの実現可能性などに対する疑問から、「外形を整えろと言っていると気づいた「『ダミー会社を作りなさい。』ということを『ダミー会社』という言葉を用いないで言っているように思えてきた」などと、自分なりの解釈をするようになった、と述べていることが読み取れるのである。これらの記載からは、SIの勝手な主観(実は検察官の主観の反映)が述べられているとはいえ、「賃貸人の変更」が別会社構想、すなわち分社サブリース構想の一環として語られていた事実が看取できる。

そのため、浦田検察官は、分社サブリース構想の存在を示す上記記載を削除することを考えた。1122日付調書では、分社サブリース構想を示す内容は跡形もなく削除され代わって、以下のような記載が登場するのである(別紙対象表(その1)参照)。

「もともと平成4年11月12日の第1回国内対策会議の際に、安田先生は

スンーズが立ち直るのはスンーズの所有不動産の価格が上がったときであり、そのときにスンーズの資産がなければ何にもなりませんので、スンーズの資産や収益を債権者に持って行かれないように手立てを講じる必要があるのです。

などと言っていたわけですし、安田先生の指示が債権者の同意をどのように得るかということとは正反対に

いかにして債権者にスンーズの資産や収益を差し押さえられたり、競売されたりしないようにするか。

ということに限定されていたことは間違いありません。(中略)

ちなみに安田先生は、別会社の銀行口座にテナントからの賃料振込先を振り替えるに際しては、スンーズが管理会社に管理業務を委託するという形にして、それとの整合性を図るため、スンーズと別会社との間に一括賃貸借契約を締結したように形を整える必要があると指示したわけですが、こうしたことがあくまで債権者からの賃料差押えを免れるための仮装工作であることは明らかでした。

 つまり、113日付調書においては、安田弁護士による別会社構想(分社サブリース構想)が、それに対するSの疑問という消極的な形で記載されていたが、11月22日付調書では別会社による生き残りの内容自体が完全に姿を消し、安田弁護士が「違法な指示」をしていたというように明確に変化しているのである。

11月3日付調書の存在が明らかとなったため、検察官は再主尋問において、こうした11月3日付調書の記載は、SIの現在の記憶とは違う、別会社構想と賃貸人の変更問題とは無関係であると証言させた(第46回公判)。その理由は「(当時は)自分をかばう気持ちがあった」「いかにも筋が通っているように説明をした」というのである。しかし、SIとしては、安田が明確に指示しないのに、SIが自発的に安田弁護士の意図に気づき、それを理解して行動したのでは、SIの主体性がより大きくなってしまう。「安田弁護士が外形を整えろと言っていることに(SI自身が)気づいた」と述べるよりも、「安田弁護士から指示された」と明確に述べたほうが「自分をかばう」ことになるのであって、SIの弁解が破綻していることは明白である。

仮に、SIが再主尋問で証言したように、別会社構想が賃貸人の変更問題とは別個に存在していたというのなら、11月22日付調書では別会社構想に関する記載が単に消されるのではなく、内容的に変化した上で(すなわち「前回自分は安田弁護士の別会社構想を賃貸人変更問題との関連で説明したが、これは記憶違いで、賃貸人の変更とは無関係に存在したものです」という具合に)、残るはずなのである。現に、問題のスンーズ社からエービーシー社への賃貸人名義の変更に関してすらも、SIは、第44回公判での裁判長の質問に対して

ダミーという言葉は、私は最初から最後まで使っていないと思ってたんです、安田先生は。私はいつも子会社と言ってましたから。ですから、ダミー会社という言葉を取調べかどこかで、言葉を同じ意味で、私が認識してた子会社と同じ意味で言われて、中身は同じかなと。

と述べ、「そうすると、取調べのときにダミーという言葉を言われて、さかのぼって振り返って、安田弁護士が子会社という言葉を使っていたのはダミー会社のことなのかと理解したと、こういう意味なんですか。」との裁判長の問いに、「そうです。」と明快に答えているのである。

つまりこの証言からも、SIは、警察で取調べられるまで、安田弁護士の話が、現実の会社生き残りの構想であると思っていたところ、これが取調べによって変容したことが明らかなのであり、「分社サブリース構想と賃貸人変更とは無関係」という主張は成り立つ余地がない。

結局、別会社構想こそ安田弁護士のアドバイスの内容にほかならず、「賃料差押を免れるための賃貸人変更」というストーリーは、別会社構想すなわち分社サブリース構想を理解し得なかった浦田検察官により、悪意を持って捏造されたものなのである。

B「安田弁護士の指示」の作出

第40回公判での主尋問において、SIが「(安田弁護士の)アドバイス」と答えているにもかかわらず、検察官がこの「アドバイス」を「指示」と置き換えて尋問したことに弁護人が異議を出し、裁判所もこの異議を認めるという出来事があった。これは、尋問者として決して犯してはならない悪質な行為であるが、これを密室での取調べにおいて行ったのが、浦田検察官であった。すなわち、1122日付調書では、113日付調書の中の「アドバイス」に対応する言葉が、すべて「指示」に変換されている。SIが自発的に、1122日付調書の段階にいたって、それまでの「アドバイス」という用語を拝して一斉に「指示」に置き換えて供述したとは到底考えられず、現にSIは「113日付調書の内容が間違っていたとして、1122日付調書において自分のほうから撤回した、ということは記憶にない」、「アドバイスを指示に変えてくれと申し出た記憶はない」旨証言している(第47回公判)。つまり、この一斉変換は、安田弁護士が違法な「賃料振替」を主導したというストーリーを作りあげ、安田弁護士を逮捕に持ち込むための、浦田検察官による改ざんにほかならない。

C捏造調書にすら残る安田弁護士無罪の痕跡(その1)

すでに概観してきたように、1122日付調書は、安田弁護士無罪を示す記述を削除し、代わりに有罪を示す記載を盛り込んで作成されているのであるが、その1122日付調書においてすら、なお、安田弁護士の無罪を示す記載の痕跡が残っている。その一例として、

テナントに通知書を出した後、形を整える必要があるので、賃料振込先を振り替える別会社とスンーズの間で、建物を一括賃貸するという契約書を作っておくようにしなさい。

所有そのものはスンーズで、別会社には管理運営を賃料の三〜四割くらいの管理料で依頼するという形にしますので、形の上ではスンーズが管理会社に建物を一括賃貸することになり、賃貸借契約書がないと整合性が採れません。(62頁)                                            

という記述がある。ここで注目すべきは、単なる「管理」ではなく「管理運営」という言葉が使われている点である。「運営」とは、間に入る会社による現実の活動、すなわち賃貸業務そのものを念頭においた表現である。安田弁護士がダミー会社を介在させるよう指示したと強調する浦田検察官が、敢えて「運営」という言葉を使うとは考えられない。これは、Sの生の記憶に残っていた安田弁護士の言葉である「運営」を、浦田検察官がそのまま書き取り、削除されずに生き残ったものなのである。

D捏造調書にすら残る安田弁護士無罪の痕跡(その2)

1122日付調書では、平成511月に三和ビジネス申立にかかる差押命令が送達された後の出来事について、以下のように記載されている。

「安田先生の事務所に行ったときは、『経営会議』がいつも開催される先生の事務所の会議室に着席したはずです。

   そして、Sがちょっと慌てたような感じで、『先生、SIのところに三和ビジネスクレジットの債権差押命令が送られてきました。』と言い、私に裁判所から送られてきた書類を安田先生に見せるように促したので、私は持参してきた債権差押命令正本と陳述書を安田先生に見せました。私が提出した書類を見ても、安田先生は全然狼狽することなく、いとも平然として、『ちゃんと通知書は出しておいたんでしょ。』と言ってきたので、私が、『はい、この前の先生からの御指示のあとすぐに出しています。』答えると、安田先生は、『それじゃあ、全然心配することはありません。陳述書には、余計なことは書く必要はなく、単に『借りていない。』のところに印をして、裁判所に送っておけば大丈夫です。』と言ったので、私はそんなものかなという感じになり、『はい、分かりました。』と答えました。」

実は、これとほぼ同様の記載が、113日付調書にもある。そしてSIは尋問においても、「安田弁護士に陳述書の書き方を尋ねたところ、スンーズから借りてなければ借りてないと書いて出しなさいということだった」と述べている。つまり安田弁護士は、陳述書には事実をありのままに記載するよう述べていたのであるが、これは強制執行妨害を意図していたのであれば、あり得ないアドバイスである。適法な分社化を構想していたからこそ、堂々と事実を記載するよう述べた事実が、改ざん後の証拠にすら残されているのである。

 

(2)11日1日付検面調書と11月21日付検面調書

しかしながら、改ざんはこれらにとどまらない。驚くべきことに、11月3日付調書と11月22日付調書にみられたのと同様の現象が、11日1日付検面調書(甲276・弁104)と11月21日付検面調書(甲285・弁112)との間でもみられるのである(別紙・SI(検察官浦田啓一作成)検面調書対照表(その2)参照)

以下、主要な点のみ列挙するが、その第1は、SIの取得した退職金に関する記載の削除である。既にみたとおり、SIは、横領と詐欺により計5500万円を取得したわけであるが、この事実がOらの取調べを通じて明らかとなると、浦田検察官は、11日1日付検面調書にあった「2700万円の退職金を受領した」との記載を、11月21日付検面調書では削除した。本来ならば、正しい受領額を、訂正の理由とともに記載するはずである。しかし浦田検察官は、あえてSIの悪性を示す事実を隠したのである。

第2は、用語の変換である。今度は「勧める」(11日1日付検面調書)という言葉を「指示」に、また、「法律相談」を「経営相談」に変換し、安田弁護士の主導性を強調している(対照表(その2)3頁)。同様に、11月21日付検面調書には、11日1日付検面調書にはみられない「経営会議」という用語が使用されている。さらには、11日1日付検面調書では、SIが安田弁護士の事務所を訪問するのは「月1回くらいのペース」であったのが、11月21日付検面調書では「月に2〜3回」に増え、「最初の方は結構参加していたのではないかと思うのですが、そのうちに出席率はだんだんと悪くなりました。」との記述が、後者では削除され、単に、「S社長から参加しなくても良いと言われたときには参加していない」という内容に変わっている。こうすることで、SI供述の信用性を高めようとの意図が明白である。

さらには、安田弁護士以外の法律専門家の関与を否定するべく、11月21日付検面調書ではわざわざ、「安田先生の指示には(スンーズ社の顧問弁護士である)西村先生はまったく関わり合いはなかったのです。」との記載まで入れているのである。まさに、安田弁護士をターゲットにしていることが如実に現れているのである。

 

7 小括

SI尋問を通じて、安田弁護士を有罪にするために、捜査段階から公判を通じて、いかに客観的事実に反する証拠が作られ、真実がひた隠しにされてきたかが、よりいっそう明確になったといえる。

 

第7 終わりに

安田弁護士が提言・助言した分社サブリースは、S社長、SN、Iらの幹部社員に受け容れられ、実現のプロセスを歩んだ。しかし、分社サブリースは遂に実をつけるに至らなかった。それは、スンーズ社の抱えていた構造的な要因に基づくものである。成功した在日華僑であるS一族と彼らに奉仕する日本人従業員―それは倒錯した鏡に映し出された日本社会のひとつの姿である。

日本人従業員は、S一族と訣別することを選んだ。踏みにじられたプライドの代償。これが彼らの答え、隠匿金である。

分社サブリースは、Oら日本人従業員によって、骨抜きにされ、その骸をさらすこととなった。その骸こそ、2億1037万円の隠匿金である。2億1037万円の隠匿金は、日本人従業員から、移籍してS一族と共に生きようと勧めるS社長に対する答えだったのである。

これが、旧住管・警察・検察が封印し葬り去ろうとした、スンーズ社の真の物語である。

                                 以 上