1999年12月3日
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安田さんを支援する会
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文責:安田さんを支援する会
99年3月3日に第1回公判がはじまって、およそ一ヶ月に全日(午前10時から午後5時まで)2回のペースで続き、現在、第19回公判が終了。「共犯」とされる重要証人の一人に対する弁護側反対尋問が続いている。
客観的に検察側の事件の構図は崩れており、第19回公判では、最重要証人といわれる「共犯」の一人が、謀議の成立を否定する決定的証言をおこなった。
2:検察の構図が崩れているとは具体的にどういうことか?
経理担当者らによる業務上横領に該当する事実が発覚し、また検察が「実体のない会社」と主張するABCには実体があったことが証拠上客観的に明らかにされ、さらに、重要証人が謀議がなかった旨の決定的証言をしている。
そして、検察の構図が崩れていることは、宇川検事による重要証人への主尋問が「奇妙」だったことでも明らかといえる。
3:検事の主尋問が「奇妙」だったとはどういうことか?
宇川検事は、安田弁護士を有罪にする上で最も重要な謀議の成立について、主尋問で具体的な証言を引き出せないだけでなく、むしろ追及をしなかった。他の冒頭陳述の重要な柱についても固執せず、冒頭陳述では述べられていない事項について時間を割いて尋問した。つまり、冒頭陳述に従って主尋問をしないという意味において奇妙なのである。
これは、明らかに、公判担当の宇川検事が、捜査を担当した浦田検事による事件の構図が信用できなくなったため、捜査段階での調書と冒頭陳述を捨てて、新たに自ら事件を再構成しようとしている。
4:経理担当者らによる業務上横領とは?
経理担当者ら一部社員は、自分の会社の先行きを危ぶみ退職金を確保するために、社長に内緒で、92(平成4)年頃から裏口座などの各種経理処理により備蓄を開始し、最終的には約2億1千万円の現金を外部倉庫等で保管し、社長からの退職金とは別に退職金名目で着服していたことが証人尋問で明らかになった。
5:それについて警察・検察は知っているのか?
知っている。知った上で、あえて最高刑10年の業務上横領罪を捜査せずに、最高刑2年の強制執行妨害罪で、安田弁護士を有罪とするために経理担当者を捜査に協力させている。経理担当者に対する弁護人の反対尋問として、次のようなやりとりがある。
弁護人「警察に何回ぐらい行かれているんですか、」
証人「資料解読やコンピュータ解読をするので約一箇月くらい行ったと思います。」
弁護人「警察のほうでは、あなた方が社長の了解も得ないで、社長が知らない状態の中で、あなたを入れて4000万円(注:証人自身が受け取ったと主張している額)自分たちで保管していたキャッシュを受け取ってしまったということについては、何か言ってませんでしたか。」
証人「何も言ってないです」
弁護人「それは悪いことだねというような話じゃなかったんですか。」
証人「それはいいことではないって、言いました。」
弁護人「それは警察が言ったんですか。」
証人「はい」
弁護人「犯罪になるよとは言わなかったですか」
証人ええ、ときと場合によっては。」
6:横領該当事実は本当に公判で明らかになったと言えるのか?
審理を担当している東京地方裁判所刑事第16部は、当初保釈請求を却下していたが、経理担当者らの業務上横領の事実が判明した99年5月25日の公判以後は、一貫して保釈請求を認めている。このことは、経理担当者の証言が大きな意味を持って裁判所にも受け止められたことを示している。
7:検察官は横領事実が明らかになってどうしたか?
本格的な捜査を行うどころか、むしろ、宇川検事は、保釈許可決定に対する抗告申立書において、経理担当者らによる犯罪行為を積極的に擁護している。すなわち、宇川検事は「O氏(経理担当者)らが受領した退職金の額について、(弁護人申立書は)『根拠を有さず』『暴挙』であると決めつけているが、スンーズ社の就業規則には・・・約18年間勤務したO氏の退職金が4000万円に達することについて根拠があることは明らか」と主張する。
しかし、経理担当者らの行為は、会社から「受領した」のではなく、まぎれもなく社長に無断で「着服・横領」したもので、そもそもO氏の受領額は就業規則の計算式にもぴたりと当てはまらないのである。
もっとも、このように経理担当者を弁護したあげく、宇川検事はその経理担当者にうそをつかれていたことが判明した。
検事「以前あなたは弁護人の質問に対して、このお金は目黒ホテル(関係会社)の5階に約1年間保管していたと説明したのを覚えてますか。」
証人「はい。」
検事「訂正すべきところがあるんじゃありませんか。」
証人「はい。」
検事「訂正してください。」
証人「最初は、寺田倉庫というところに入れておきました。」
社長に内緒で外部の倉庫業者に「会社のお金」を預け、社長に内緒でそのお金を関係者で山分けし、それとは別に、再度社長から退職金をもらっている行為を、どうしたら横領でないと言えるのか。
8:ABCには実体があったのか?
検察は起訴状、冒頭陳述で別会社の一つであるABC社は「実体のない会社」(ダミー会社)と主張していた。ところが、自らの主尋問の際に、平成5年の謀議当時には実体があったことを認めてしまった。これだけでも公訴事実は半分崩れているが、検察は、せめて1年後の平成6年には実体がなくなったことを立証しようとした。しかし、弁護側反対尋問により、平成7年に入ってもサトイモの輸入などビジネスの種があれば取り組んでいたことが明らかにされ、検察側の主張はことごとく崩れてしまった。
さらに弁護団は、ABCの設立につき債権者に挨拶状まで出されていたことも明らかにし、捜査段階で一部債権者にABCとの賃貸借契約書が提出されていたことが判明している以上、もはや客観的に「賃料隠し」とはいえなくなってきている。
むしろ、証人にとってある意味でABCは思いを込めて取り組んだ事業であったから、本来ABCに実体がなかったとするのは不本意なはずである。実際に弁護人の質問にこう答えている。
弁護人「賃料を隠そうといったような発想でエービーシーの設立を考えたということは一切なかったと断言できますか」
証人「私は断言していいと思います」
弁護人「それからエービーシーの会社の実体ですが、この活動実体については証人は誇りを持って語れる内容ですか。」
証人「私はやるだけやったと誇りを持って言えますね。」
9:謀議がなかったと証言したのか?
1999年11月24日の第19回公判の最後で、最重要証人の一人が以下のように答えている。
弁護人「結局、2月19日の打ち合わせで何が決まったんですか」
証人「結論としては何もなかったということでしょうね」
2月19日とは、検察側が冒頭陳述で謀議が成立したとされる日である。この日に何も決まった ことがなかったということは、謀議はなかったということになる。つまり、検察のストーリーが 完全に崩れてしまったのである。
10:なぜこんなことに?
この証人は、共犯として逮捕・勾留され、再逮捕までされたのに処分保留で釈放された。もちろん起訴もされなかった(再逮捕までされて起訴されないのは珍しい)。いまや重要証人となったのであるが、彼は「メモ魔」とよばれるほど、自分の手帳、ダイアリー、各種ノートに克明に打ち合わせの内容などを記録していた。
せっかちな検察側は、彼の克明なメモという「客観証拠」で安田さんを有罪にできると判断した。すなわち、検察が2月19日に謀議の成立を構成したのは、三和ビジネスクレジットという債権者が唯一差押えをしているから(この物件については立件していない)、ここの動きと強引に結びつけようとしたからである。そこで、証人のメモをこの債権者との関連で強引に「解釈」することで、強制執行妨害を構成しようとした。
しかし、それは、あくまで強引な「解釈」にすぎなかった。「客観証拠」であるはずの証人のメモは、単語だけが羅列されているところもあり、多くの場合それだけでは意味が明確でない。その場合、他の記述や債権者側に残っている記録などとも参照しながら意味を確定していく作業が必要である。しかし、検察は安田有罪の客観証拠があると早合点し、地道な分析作業を怠ってしまった。自分の思い込みの構図に、証人のメモをあてはめただけで起訴をしたというわけである。
事件を立体的に検証していないから、別の債権者、別の異なる角度から見ると、客観証拠であるはずのメモの記述がまったく別の意味に読み取れるのである。今回、別の債権者である住商リースとの関係から見ただけで、もはや「客観証拠」は合理的に異なって読めてしまった。まさに、検察は「客観証拠」に裏切られたのである。
<安田好弘弁護士、公訴事実、保釈問題について>
1:安田好弘弁護士とはどういう弁護士か?
安田好弘弁護士は、多くの公安、労働事件に取り組んできた弁護士である。京都大学助手で全共闘時代のイデオローグであった「滝田修」が共謀共同正犯として起訴された「滝田事件」や、日本赤軍が日航機をハイジャックした「ドバイ・ダッカ事件」などがある。また、宇都宮病院事件の代理人をはじめ精神障害者の権利擁護のための活動や、山谷労働者の権利獲得のためにも早くから取り組み、山岡強一氏らを弁護している。アイヌ民族の「肖像権裁判」の代理人もしてきた。
重大な刑事事件も数多く引き受け、「新宿駅西口バス放火事件殺人事件」では死刑求刑を無期懲役に、「司ちゃん誘拐殺人事件」では一審死刑判決を無期懲役に、「名古屋アベック殺人事件」でも死刑を無期懲役に減刑させるのに貢献している。死刑事件を引き受けることさえほとんどない日本の弁護士の中にあって、死刑事件で無期懲役に減刑させた事件が複数もあること自体が驚異ともいえる。
オウム裁判の麻原(松本)被告の主任弁護人を国選で引き受け、今回の逮捕・勾留を受けて裁判所に解任されたため、現在は私選という形で引き続き主任弁護人となっている。市民運動体である死刑廃止フォーラム90の中心的存在として、死刑廃止運動にも積極的に関わってきた弁護士でもある。
2:安田弁護士が起訴されたのはなぜか?
公訴事実は、安田弁護士が、スンーズ社の社長、社員らと共謀の上、同社が所有する建物の賃借人に対して有する賃料債権等に対する強制執行を免れる目的で、同社が別会社(ABC社とワイドトレジャー社)に賃貸人の地位を移転したかのように装って、合計約2億円の賃料を隠匿したというもの。
3:安田弁護士は何を主張しているか?
「私は無実です。私は起訴状に記載されている各行為を行ったことはありません。」
「いずれ将来、経営が破綻せざるを得ないと考え、これに備えるため、スン社の賃貸部門を分離独立させて分社し、そこにスン社の従業員を移転し、その会社でスン社グループを生き残らせ、スン社本体は時期を見て資産を売却し、債務を完済して消滅させていくことを助言したのである。すなわち、不動産を所有することを主な業務としていた従来の会社から不動産を占有するだけの会社に業態を転換させ、これが新規の事業を展開して消滅するスン社に成り代わって新スン社となることを提言したのです。」(「公訴事実に対する意見書」より)。
4:法律理論面の争点は何か?
弁護団は、事実の側面だけではなく、法律理論面においても無実を主張している。
第一に、そもそも賃貸人の地位が移転しても判例・実務上賃料債権の譲渡後であっても差押えが出来るのだから何ら「隠匿」したことにはならない。
第二に、差押えのない本事案では、最高裁の判例上強制執行妨害罪が成立するための要件である「現実に強制執行を受けるおそれのある客観的状況」(近迫性の要件)もない。
第三に、強制執行妨害罪の時効期間さえ過ぎている。
5:安田弁護士は今どうしているか?
98年12月6日に逮捕されて以来身柄が拘束されていた安田弁護士は、99年9月27日に保釈された。東京拘置所における最初の約5ヶ月間は、24時間監視カメラ付の「自殺房」に入れられていた。健康面では問題はなく、現在は通常業務をおこなう一方、自身の裁判準備に没頭している。
6:保釈にはどのような問題があったか?
第一に、否認をすると検察側の立証が終了しない限り保釈されない「人質司法」の実態が端的に示されたこと。安田弁護士は、「人質」どころではなく、拷問以外の何ものでもないと言っている。
第二に、検察側の姿勢がきわめて強硬だったこと。検察側は、仮に本人が罪証隠滅を図らないとしても1300名もの多くの弁護団がいて「統率」できない以上、その弁護人が罪証隠滅をするかもしれないとまで主張した。
第三に、3回も連続して高裁が地裁の保釈決定を取り消し、4度目でようやく保釈を認めたこと(なお全部で9回保釈請求している)。一般に抗告審(高裁)は、原審(地裁)の判断に著しい逸脱があったかどうか判断するのが基本的構造であるのに、実際の審理を担当した地裁の判断を尊重せずに、記録も十分読むこともできない高裁が、一審と同じような立場に立って今回のように3度まで繰り返し決定を取り消したことは、ほとんど前例がない。同時に、一般に上級審の意向を伺う傾向の強い裁判所の中で、4度連続して保釈許可決定を東京地裁が出していることも注目すべきである。
以上