人権とメディア 第38回

「安田初公判」で報道されなかったこと

山口 正紀



「私は無実です」---- 三月三日午前一〇時三〇分、東京地裁刑事一〇四号法廷。四〇人近い弁護士と傍聴席を埋めた支援者の前に、約三カ月ぶりに姿を見せた安田好弘弁護士の静かな、だが力強い声が響いた。
 旧住専の債権回収に絡み、『強制執行妨害罪』で逮捕・起訴された安田さんの初公判。起訴状朗読に続く罪状認否で、安田さんは「被告」としては異例の約三〇分間におよぶ意見陳述を行なった。支援者の一人として傍聴していた私には、その陳述が警察・検察と住宅金融債権管理機構(住管)の犯した<権力犯罪>に対する起訴状朗読のように聞こえた。
 この日の公判だけでも、今回の逮捕が、オウム裁判や死刑廃止運動などでの安田さんの活動を封じ込めること自体を目的とした政治的逮捕であることが、かなり裏付けられた。だが、同日夕刊の各紙報道は、それを十分に伝えるものではなかった。
 安田さん本人と弁護団の意見陳述および起訴状に対する求釈明、検察側の冒頭陳述で明らかになった事実の中から、<メディアに報道されなかったこと>を中心に報告したい。
 まず検察側が「強制執行妨害」にあたるとした「賃料債権隠し」とは何か。弁護側は具体的な釈明を求めた。だが、検察は冒頭陳述で「スンーズ社」(以下、ス社)が自社ビルのテナントから支払われる賃料債権の差し押さえを逃れるため、賃料の振込先をダミー会社に変えた」とする起訴状の指摘を繰り返しただけだった。
 検察の言う「ダミー会社」が所在も役員も不明の幽霊会社なら、その指摘もうなずける。だが、振込先の子会社は事務所も構え、役員がス社の関係者であることも明確な実体のある会社だった。債権者が賃料債権を差し押さえようとすれば、法的にも実際にも、いつでも可能----つまり「債権隠し」の効果はなく、「強制執行妨害」の役にも立たない。
 弁護側は、そのことを最高裁判例に基づいて指摘し、「強制執行が妨害されたという事実自体まったく発生していない」ことを明らかにした。
 第二に、ス社と安田さんを強制執行妨害で告発した住管は、実はこの賃料債権に関しては当事者ではなかったこと。住管がス社に対する債権を取得したのは一九九六年一〇月だが、その時点では本件の賃料振込はすでに終了しており、住管としての債権回収業務とは何の関係もなかった。自身が形式的にも実質的にも何ら被害を受けていないのに、住管はなぜ、「強制執行妨害」で告発したのか。疑問が浮かび上がった。
 第三に、債権回収開始後の住管の不可解な行動。昨年一〇月七日、安田さんはス社顧問として住管側と話し合い、ス社の資産・財務内容の明示と国内外の資産の整理による二カ月以内の債務返済を約束した。同一四日、本社ビル売却交渉の日程が決まり、海外資産売却による約三〇億円の返済の見通しもつき、一五日には、手始めの四八〇〇万円が支払われた。安田さんの申し出は返済総額六〇億円。住管が引き取った債権の回収を十分保証するものだった。
 その交渉窓口が、ス社に対する刑事告発で住管側によって突然閉じられた。住管は自らの行為で債権回収を中断したことになる。住管は、債権回収より刑事告発を優先する警察・検察の下請け機関だったのか。
 第四に時効の問題。賃料の振込先変更が、仮に検察側のいう「強制執行妨害を目的とした仮装譲渡」にあたるとしても、振込先変更が行われたのは九三年。すでに強制執行妨害罪の時効が成立している。
 以上のようなことを、私は初公判で知った。だが、逮捕の際、警察情報うのみの犯人視報道で安田さんを「悪徳弁護士」と印象づけたメディアは、それを修正するに十分なこれらの情報をまともに伝えなかった。
 検察はこの日、八人の証人尋問を申請した。一人でまる二日間の尋問もある。裁判の長期化は必至だ。一方、弁護側が同日行った三度目の保釈申請にも、「罪証隠滅の恐れ」などを理由に反対した。六年も前の“事件”について、いったいどんな「罪証隠滅」ができるというのか。
 住管の不可解な告発、犯罪構成要件を満たさない強引な逮捕・起訴、保釈への執拗な反対。検察の狙いはもう明らかだろう。安田さんをできる限り長く拘置所に閉じ込め、弁護士としての活動をさせないことだ。
 <弁護士活動強制妨害>という、かつてない権力犯罪。住管とメディアが、それを後押ししている。


やまぐち まさのり
「人権と報道・連絡会」世話人・読売新聞記者。


文章の出典
週刊金曜日・258号(1999/3/12付)・27ページ

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